夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

貧乏がささやく

同級生や後輩が昇進していきますねえ。

嫉妬なんかないです。わたしには乗っていられなかった列車に乗り続けていることを、純粋に尊敬するだけです。

数少ない親友や友人の誕生日にはプレゼントを贈りますが、お店を見て「わあ、可愛い、似合いそう」と思ったものをいくつか買って、それなりのお値段になり、帰宅してラッピングされた数千円のピアスを見ながら、いいなあって、わたしもアクセサリー欲しいなあと、ふと思うことはあります。

プレゼント用に買うものって、自分用より遥かに高価だから、なんていうのかなあ、わたし自身はオモチャみたいな数百円のアクセサリーつけてて、でもわたしの財布からこの可愛くて高価なアクセサリーは買ったわけで、でもそれはわたしのものじゃなくて……

そんなこと思う自分の性根が悪いのか、貧乏が悪いのか。友情が足りないのか。

今年こそ1500円のスニーカー買いたい。いつも買おうとして手に取って、やっぱり棚に戻す。スニーカーないけど、外を歩く靴は今履いてるのがあるから。

庭先でイベント起きない

年末からかなり久々に激鬱に落ち、やっと二月で平常運転に戻ったかと思いきやまたも激鬱です。

ご飯が食べられないの久々にきました。木の芽時って本当なんですかね。

怖いのはここからガッと上がった時ですよね。また物を壊したり誰かを罵倒したりするのは嫌だ。

いま激鬱と書きましたけど、苛々も入ってるので混合状態かもしれないです。

思考の方向性が合わない人と会話すると、全然噛み合わなくてストレスがたまります。

何かポンと言われた時に、それが何に関係するのか、ひいてはこれから何を言いたいのか、一瞬で連想しますよね。その連想するものが全く同じな人であれば、ほぼ単語のみでも会話できるくらい話が早いんですけど、連想の方向性が違うと、こっちが予想してる話のジャンルと相手が言おうとしてる話のジャンルが違うので、確認作業が入ったりつっかえたり誤解したり、全然進まない。

もうお別れした友人ですが、どんなに省略しても通じる人がいて、はたから見ているとわたしたちの会話はお互いに一言二言を、相手を遮る速度でぶつけ合っているだけで、他人には何を言ってるのか全く分からなかったそうです。そこまで回転が重なると、喋っていて本当に楽しかったし、ラクでした。

イタイおばさんにはなりたくないけど、フリルとかレースとかリボンとかキャミソールワンピースとか、着られなくなったらアイデンティティを失う。

カッコイイ系に興味ないし、パンツスタイル嫌いだし、でもシワとシミと白髪だらけで、ピンクのペラペラのワンピース着てる人になったら困る。

四十歳が怖い。三十代はまだ言い訳できそうだけど、四十歳は中年だもん……

人生が勝手に進んでいく。ずっとお試しキャンペーンみたいな感覚で生きてきたのに、気づいたらゲームはどっしりと中盤に入ってた。

なのに持ち物もお金もなくて、庭先をうろうろしてる。

Everything had doneの英語力最低

先日、診察室で泣いてしまったんですけど、あの人前で激しく泣いた時の、途中でふっと「あ、もういいです」みたいに冷める瞬間て何なんでしょうね。かといっていきなり真顔で「すいませんもう泣いて慰めてのやりとりいいです」って言うのもなあ、とか思いながら、うつむいて考えている。どうやってこの場を切り上げようかなと。

一昨日は難病の通院に行ったんですけど、もう帰宅してから具合悪くて悪くて、どうにもならないですね。ご飯もムリ。明けて翌朝、カフェオレ飲んで薬飲んでまた病院に出発。お昼食べずメロンソーダ飲み飲み。

わたしは人生を怠けたのかなあと最近思う。

例えばボロボロのアパートに住んでいる人と(気分を害した方がいたらごめんなさい、でもわたしが住んでるのもそういうところです)、高層マンションに住んでいる人といるじゃないですか。その違いは何かなって考えるんです。

資本主義社会の貧富の差、というのは当たり前で、じゃあ現在貧乏になった人が貧乏になったのは、怠けていたからなのかなと、つまりわたしは怠けていたのかなと、だったらどこのタイミングで怠けたのかなあと考えて、遡っていくと、例えばわたしが入院手術を理由に会社を辞めなかったら、鬱で試用期間でクビにならなかったら、もっと頑張ってイビリに耐えていたら、鬱をうまくごまかして普通の人を装えていたら、今も正社員だったかもしれない。さらに遡っていくと、誰か高校生のわたしに、食べていける資格を取ることを薦めてくれる大人がいたらよかった。

「働いてお給料を貰い、そのお金で自分を自分で養って生きていく」ということを、恥ずかしながら学生のわたしは全然考えていませんでした。

言い訳としては、何度も起こる病気や入院で頭が(気持ちが)いっぱいいっぱいだった、両親の揉め事とそれぞれのメンタルのおかしさにやられて、進路とか志望校とか考える暇がなかった。特に高3の後半はめちゃくちゃで休むか保健室ばっかりだったし。

でもこういう人こそ食いっぱぐれない資格をとるべきだった。病気が再発して入院するとしても、そこで退職じゃなく休ませてくれて復職できる職場に勤められる資格、職場でいじめ等に遭っても次に転職しやすい資格を取るべきだった。

全てがもう遅すぎて、どうにもならないのですけど。

前の主治医に「休職させてもらいなさい」って何度も言われたけど、有給休暇があるのかも分からない職場で、休職なんて言えるわけない。前任者は結婚で退職してるし。

改革とか何か言ってるけど、三角形の下の方なんてこんなものじゃないですかね。

ネットの海外記事で読んだんですけど、救急救命士やってる人が、運ばれてきてどうやっても助からない患者に「私は死ぬの?」って必ず聞かれるけど、最初のうちは大丈夫ですよって答えてて、でもある時から考えを変えて、死ぬって伝えるようにしたら、患者の目には逆に安堵が見えたって書いていて、患者は死ぬ時に自分の人生には意味があったと思いたい、誰かに覚えていてほしい、許されたい(他にもあったと思うけど)という心の動きがあるそうです。

確かにわたしも死にかけた時に「わたしは大丈夫ですか?」「わたし死なない?」って聞いた記憶があって、看護師は手を握るだけで無言、ICUの医者は「死なない!」って言った。

誰かに覚えていてほしい、っていうのとは少し違うのかもしれないけど、前にも書いた通りやっぱり子供がいて孫がいて、死後も自分の一部がこの世に変わらず生き続けるとしたら、きっと少し安心できると思う。わたしがこの世界から消えても、完全にここからさよならするんじゃなくて、わたしの一部は別の身体の中でこの世界を生き続けているんだって思えれば、この世界から切り離される感じが薄まるかもしれないから。

許されたいっていうのは宗教的な感覚なんでしょうかね。それはわたしには分からなかったです。

「自分が病気であることが、自分で理解できない」という話を何度もしているのですが、先日主治医から「杏紗さん、そんな何回も手術して死にかけたことのある人なんて、全人類で考えて1%もいないよ」と言われました。

わたしの中の感覚では、全人類が未成年で発病、手術、投薬をくり返して生きているはずなんです。放射線治療も。だって病院に行かない生活なんて想像できないし、薬も注射もしなくて生きられるなんてあるわけない。あるわけない。誰も自分の人生しか生きたことはないから、それ以外の日常があるなんて分からない。

主治医の言うことが正しいのは分かってるんです、ただ、それは正しいということを知っているだけで、実感がない。

「わかんない」。

この一言に尽きます。

わかんないけど、通院はするし、服薬もする。

もう分かんないです、いろいろなことが。「あたし身体弱いから」って知り合った人に言われる時に、「わかんない」って脳が停止する。

いつも、誰にどこまで話していいのか無意識に計算している。わたしの病気に関する情報をどこまで誰に話してもいいのか。目の前のこの人にはどうしよう。偏見の目に晒されないように、今後の付き合いに支障のないように、交際範囲の中で矛盾が生じないように。

だから寄ってきた男の人とにこにこして話しながら、「この人、わたしが明日から精神科に入院するって知ったら態度変わるんだろうな」って考えている。

例のお見合いの時も考えたんですけど、わたしの抱えるマイナス点を、どの段階でどれだけ公開することがフェアなのかと考え始めると、もし相手が結婚相手を探しているなら早い段階で全て言うべきだと思うし、そんなつもりもないなら様子見でいればいいのだとは思う。

難病、手術歴、通院については言いやすい。というか、無職の理由を聞かれたら普段からこれを言うことにしている。問題は精神科の方です。あとは片親であること。超絶貧乏なこと。職歴が酷いこと。

まあ、結婚なんて高望みなことはいいです。あれは選ばれし民だけに起きるイベントです。

でもこの世のどこかに、いつかわたしと一緒にいてくれる人が、今この瞬間「定時で帰りたいなあ」とか言いながら生きていたらいいなとは思う。夢を見るのはタダだから。

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追記

ネット関連の整理整頓中、確認できなくなる恐れがあるためです。

病気の話ぽつぽつと

年々、身体が弱ってるような気がする。

年々というより危篤になった後から特に弱くなったような気がする。それまでは難病ではあっても常人の七割くらいの体力はあったはずなのに、今は半分以下、しかも回復が遅い。

医学のことは全然分からないけど、一度危篤までいった肉体は持ち直したとはいえダメージ0とは思えない。色々なものを消費して、生命活動を取り戻したのだと思う。その時にダメージを負ってしまったのではないだろうか。

七十歳近い母親が家具を運んで片付けて掃除機をかけてるのを見ながら、アラサーのわたしはベッドに横になっているなんて日常茶飯事で、やたらと微熱が出るし、たまに六時間くらい外出したら夜からものすごい倦怠感と痛みに全身が苛まれて、翌日も寝たきり。

こういうことを書くとメンヘラみたいで気が引けるけど、いま現在飲んでる薬の数をさっき数えたら、朝昼晩で35錠あった。なんか多いなと思ったら多かった。これに頓服を入れたら40錠を超えてしまう。肝臓は大丈夫なんだろうか。ホルモン注射も自分で打ってるけど、もう疲れた。遺伝子組換えの材料を使用しているらしいけど、それが怖いのかどうかも分からない。

この肉体はどれだけ薬剤を入れないと動かないんだろう。一日でいいから、朝から寝るまで、何の薬も飲まなくていい日を味わいたい。入院してれば点滴で補えるから、もういっそ身体のメンテナンス的な感じで入院させてくれないかと思う。

持病があると就職活動が相当に阻害される。ほぼ落ちる。通院で定期的に平日休みが欲しいから持病を話す、当然採用されない。だからシフト制のところを選んで、持病のことは黙って応募する。受かって働き始めて、何かの拍子に通院がバレる。既往歴を隠すなと怒られる(面接時にその手の質問はなかったから言わなかった)。

面接で申告したらどこにも採用されない。病気と闘ってえらいね、なんて企業が言うもんか。

そんなところで病人は社会から弾かれている。

両親のいる家庭、安定した家計、健康に育ち、就職!結婚します!妊娠しました!痛みに耐えて無事出産!マイホーム購入、職場復帰。

そういうルートを辿ってる人の人生が全く分からない、想像できない。この世にそんな人がいることが分からない。入院したことのない人がいるなんて理解できない。

だから看護学校に通ってた時に、周りのクラスメートがCTとMRIとエコーの区別がつかなかったり、薬の名前を全く知らなかったり、モニターの読み方を知らなかったり、実際の医療現場を考えればお花畑としか思えないような提案をしてるのを見るにつけ、(なんでそんなことも知らないの?)と見下してた。教科書に書いてある検査も知ってる内容が多かったから、実際にどういう痛みなのか苦痛なのか経験してたから、とんちんかんな意見が出るたびにうんざりしてた。

そういう視線は伝わっていたと思う。そういうところが嫌われたと思う。わたしは常に病人でありすぎて、看護側から患者を見ることができなかったんだと思う。

いま思うのは、看護側は健康であればいい。体力があって精神を病んでなくて、明るいことが大切だと思う。わたしが看護師になれなかったのは当然だと思う。

今これも布団の中で打っていて、隣の部屋では母親が本棚を分解して掃除機をかけ、物置を整理している。わたしはアイスノンをあてながら微熱と痛みとだるさでぐんなりしていて、明日も通院があるけど行きたくないと考えている。通院にも体力と気力がいるし、お金もいる。

わたしの医療費は難病のため助成を受けているので、わたしが生きていられるのは国民の皆様の税金のおかげで、日本に生まれてよかったとしみじみ思っています。

わたしがしたいことって何?

あけましておめでとうございます。

本年もこの愚痴ブログをどうぞよろしくお願い致します。

年末から精神状態が悪くなりまして、もともと長めの鬱がきていたのでそのうち上がるだろうなとは思っていたのですが、少し上がってきてイライラが芽生えてきた頃に前回記事で書いたお見合い話がありまして、それをきっかけに爆発躁転したという感じです。

先月の長い鬱も久しぶりでしたが、爆発する怒りの躁状態も久しぶりでした。いま現在は怒りから抜けてまた鬱に戻っているんですけど(食欲全くなし食べてない、気力なし)、いやーひさびさに爆発しましたね。やばかった。常に舌打ちしてて何かにつけ心の中で怒鳴ってる感じで、何年ぶりかに襖に穴が空きました。終わってるわたし。

同時にぎっくり腰になり、また発熱したかと思えば耳の前の頬の部分が神経痛のように傷んで傷んで、呪われてるのかという年末年始でした。

いまの主治医に変わる前は治療がうまくいっていなかったこともあってよく躁転していたんですけど、転院してからは多少の波はあっても(本当に多少かどうかは知らん)一般人を装えるくらいには落ち着いていたので、先月からの長い鬱はちょっとどうしたのかなという感じではあったのですけど、季節的なものでしょうかね。おっかしいなあ、服薬してるんですけどねえ。とりあえずいま全然食べたくなくて、薬を飲むためにこんにゃくゼリー1個食べるとかそんな食事です。まあデブってるから平気。

今年の抱負。というほどのものでもないけど。

たぶん母親との関係に問題がある育ち方をしたせいかと思うんですが、わたしは他人と接するときに、相手が望むこと、相手がしたいこと、相手の気分がよくなるように振る舞うという癖がついていて、相手と向かい合ったとき、自分というものがなくなってしまうんです。例えば相手が落語が好きだったとします、そしたらわたしも持ってる知識を総動員して落語の話をして、寄席に誘われれば「うれしー!」って行って、あそこがよかったここがよかった、でCD買っちゃったりするんです。本当は全然好きじゃないんですよ、興味もないんです。落語はあくまで例なのであしからずですが。

とにかく相手の気分を良くして、相手が望むように、相手の役に立てるように。そのとき「わたし」というものはもう100%「相手」なんです。そのことにその最中は自分も気づいていなくて、自分もそういえばわたし落語大好きだった!みたいな感覚がある。

でもそうして気づいたら自分の周りが洒落にならないくらい落語関係に囲まれていて、あれ?って、わたし何してるんだろう、落語なんてわたし好きじゃないよね……と我に返るんです。「本当のわたし」はどこにいるのか、何が好きなのか、分からなくなる。そして自分の時間を「相手が好きなもの」に使って、自分のために使えない。

今年の抱負じゃないですけど、自分のそういう面に気づけたので、今年は、「自分がしたいこと、自分が望むこと」をしたい。自分のために時間を使いたい。

わたしの労力をあてこんで何かをしようとする人たちの申し出を断りたい。