夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

病気の話ぽつぽつと

年々、身体が弱ってるような気がする。

年々というより危篤になった後から特に弱くなったような気がする。それまでは難病ではあっても常人の七割くらいの体力はあったはずなのに、今は半分以下、しかも回復が遅い。

医学のことは全然分からないけど、一度危篤までいった肉体は持ち直したとはいえダメージ0とは思えない。色々なものを消費して、生命活動を取り戻したのだと思う。その時にダメージを負ってしまったのではないだろうか。

七十歳近い母親が家具を運んで片付けて掃除機をかけてるのを見ながら、アラサーのわたしはベッドに横になっているなんて日常茶飯事で、やたらと微熱が出るし、たまに六時間くらい外出したら夜からものすごい倦怠感と痛みに全身が苛まれて、翌日も寝たきり。

こういうことを書くとメンヘラみたいで気が引けるけど、いま現在飲んでる薬の数をさっき数えたら、朝昼晩で35錠あった。なんか多いなと思ったら多かった。これに頓服を入れたら40錠を超えてしまう。肝臓は大丈夫なんだろうか。ホルモン注射も自分で打ってるけど、もう疲れた。遺伝子組換えの材料を使用しているらしいけど、それが怖いのかどうかも分からない。

この肉体はどれだけ薬剤を入れないと動かないんだろう。一日でいいから、朝から寝るまで、何の薬も飲まなくていい日を味わいたい。入院してれば点滴で補えるから、もういっそ身体のメンテナンス的な感じで入院させてくれないかと思う。

持病があると就職活動が相当に阻害される。ほぼ落ちる。通院で定期的に平日休みが欲しいから持病を話す、当然採用されない。だからシフト制のところを選んで、持病のことは黙って応募する。受かって働き始めて、何かの拍子に通院がバレる。既往歴を隠すなと怒られる(面接時にその手の質問はなかったから言わなかった)。

面接で申告したらどこにも採用されない。病気と闘ってえらいね、なんて企業が言うもんか。

そんなところで病人は社会から弾かれている。

両親のいる家庭、安定した家計、健康に育ち、就職!結婚します!妊娠しました!痛みに耐えて無事出産!マイホーム購入、職場復帰。

そういうルートを辿ってる人の人生が全く分からない、想像できない。この世にそんな人がいることが分からない。入院したことのない人がいるなんて理解できない。

だから看護学校に通ってた時に、周りのクラスメートがCTとMRIとエコーの区別がつかなかったり、薬の名前を全く知らなかったり、モニターの読み方を知らなかったり、実際の医療現場を考えればお花畑としか思えないような提案をしてるのを見るにつけ、(なんでそんなことも知らないの?)と見下してた。教科書に書いてある検査も知ってる内容が多かったから、実際にどういう痛みなのか苦痛なのか経験してたから、とんちんかんな意見が出るたびにうんざりしてた。

そういう視線は伝わっていたと思う。そういうところが嫌われたと思う。わたしは常に病人でありすぎて、看護側から患者を見ることができなかったんだと思う。

いま思うのは、看護側は健康であればいい。体力があって精神を病んでなくて、明るいことが大切だと思う。わたしが看護師になれなかったのは当然だと思う。

今これも布団の中で打っていて、隣の部屋では母親が本棚を分解して掃除機をかけ、物置を整理している。わたしはアイスノンをあてながら微熱と痛みとだるさでぐんなりしていて、明日も通院があるけど行きたくないと考えている。通院にも体力と気力がいるし、お金もいる。

わたしの医療費は難病のため助成を受けているので、わたしが生きていられるのは国民の皆様の税金のおかげで、日本に生まれてよかったとしみじみ思っています。