夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。母を亡くしました。御用のある方はサイドバーのメールフォームからお願いします。拍手ボタンは遥か下へ。ついったー→@azusa_tsubuyakiも宜しくです。

拍手お返事です

5/5の方。

>以前ブログで聖書を〜

拍手ありがとうございます!

だいぶ前に書いたことを覚えていて下さってありがとうございます。

聖書には関心を持ち続けていて、さすがに長いのと難しいのとで頭から終わりまでは読めないですが、まとめみたいな解説本を読むことはたまにあります。

当時に比べてだいぶ知識はついたと思いますが、やはり信仰は『後付けの理屈は抜きにして、いつの間にか心の中でそうすること(信じること)が当然であった』という状態で選ぶべきだと思うので、趣味(という言い方はおかしいですが)の範囲で読んでいます。

>最古の〜

エピソードの拾い読みをしているせいで、頭から終わりまで通して読んだことがないせいか、そういう目で見たことはなかったです(^_^;)でもドラマティックというか、劇的なシーンもあるので、言われてみればそうかも……と思いました。

今度読む時はそういう視点も持ってみます!

その他の方も拍手ありがとうございました!

不調により諸々のお返事が滞っております(._.)

ツイッターで短文や思いつきを書いたりはできても、なかなか考えてどうこうということが難しい日が多く、お返事等が遅れますがご了承下さい。

どっちが子供か分からない親子猫は可愛いのか

先日、小さな子供の写真撮影風景を見たのですが、女の子っていうのは凄いですね、ひらがなを習うような子でももうシャッターに合わせて顔を作っていました。目は見開いて、口角を上げて、顔を傾けたり顎を引いたり。

ケータイの普及で写真を撮る頻度が格段に上がったし、おそらくはママが自撮りしているのを見て学んだのだと思われますが、なんというかちょっと厭だなと思ってしまうのは、子供に『性』の無い存在を求めているからでしょうか。

あんなに幼くても『女』として自分が可愛く見えるようにと考えている、その媚のある目が、子供のいないわたしには強烈で、あまり好ましいと思えなかったのです。

もちろんそんな幼い子ですから、『男の子に好かれたい』という意識より、『カワイイ=承認欲求』みたいなものなのかなとは思いますが、この嫌悪感はどこから来るのかなと考えると、よく母がテレビで、ジュニアアイドル出身の女の子がきれいに成長し女優として活躍しているのなどを見て、「もう女になったねえ」と言っていたことが思い出されます。

わたしには強烈に抵抗感のあるフレーズでした。そこから、『女』になったことを母に見抜かれるのが怖いと思うようになりました。もしくはもう見抜いているのか、これから見抜くのか、だから母と年頃の娘があまり密接にくっついていると、娘がいき遅れるのかもしれないなあなんて思います。

わたしが単純にモテないだけということは置いておいて、母に監視(そういう意図はなくても)されている状態で、デートなんか行こうものなら『男に会いに行くんだな』と見抜かれて、見抜かれるのがものすごく嫌なわたしは清らかな存在でいるようにする。自然と性のない人間として過ごすようになる。

反抗期で親と距離をとり異性と接近し、親との付き合い方が落ち着いた頃には配偶者を見つけている、そんなテンポがいいのかなと思いました。

相変わらずゲームが好きで下手ですが、押入れの中を整理したらクッキーの箱にぎっしりとゲームボーイファミコンのカセットが詰まっていました。セガサターンもあったし。

緑色のニクイやつヨッシーの話になると「緑はだめっす!特技何もないから!」と熱弁する人がいますが、わたしはヨッシーに乗ったままジャンプするのが苦手でいつも放牧してしまうので、緑でも何でもヨッシーを見ると緊張します。

久々に鉄拳やったけど全然だめだった……そしてもうスティックに慣れてるから初代バイオハザードやっても十字キーじゃ全然歩けなくて、あれなんでみんな後ろ歩きになっちゃうんですかね。

当時金田一少年のゲームが欲しかった記憶があります。37歳の方はどうなっていくんですかね。ちゃんと読んでないけど、美雪はどうなってるの?ありがちだけどわたしとしては、はじめちゃんには『高卒で警察官、冴えない勤務ぶりで呆れられている、美雪と結婚して住宅ローンに追われつつぼけーっと働いているが難事件が発生すると上の方から呼び出されてしばらくいなくなる謎なやつ(同僚談)』みたいな展開を勝手に予想してたので、はじめちゃんがまるっきり方向性の違う人生を歩んでいることに驚きました。でもそんなもんか。小中学校の同級生なんかでも、えっそういう方面に行ったの?意外!って人はいますもんね。いつまでも同じ分野の中で生きていく人ばかりではないしなあ。

拍手お返事です

>死んだ後どこに〜

いつか読んだ〜「生まれる前にいたところ」〜

拍手ありがとうございます(._.)

宇宙は謎だらけですね……なぜわたしたちが存在しているのか、「生きる」「死ぬ」とは何なのか、たまに『この世界は5分前に出来た』説も思い出すし、考えると頭が崩壊しそうになりますね。

「生まれる前にいたところ」というのは、そうですよね、そこから来てそこに帰っていく。すごくシンプルだし、大きな意味でそれが正解なのかもしれないですね。

そもそも死後にどうなるのか分からないから死ぬのが怖いんですよね。

最低な親族に嫌な目に遭わされて、それを愚痴ったら『そういう奴は死んだら裁かれる』んだからいい、と言われたんですが、なんかそれって負け惜しみに聞こえるんですよね。究極の他力本願だし、なんか全部それで片付くじゃないですか。うまく逃げてるだけに思える。人に向き合って自分で解決することを放棄してる。『まあそうしてられるのも今のうち、死んだら酷い目に遭うぞ』なんて思ってるの気持ち悪いし、だいたいそれを言った人にわたしは散々な目に遭わされたことがあるんですが、自分は天国行き(宗派は知らない)だと思ってるからそういう観点で心を慰めてるわけですよね。でも人を傷つけたことのない人間はいないし、自分はすでに『あがってる』みたいな感覚こそ、傲りですよね。わたしはそう思いますけど、面

倒くさいから言い返すこともない。裁かれても困るし。

なんか変な方向にいきましたが、拍手ありがとうございました!

拍手お返事です

>「ディスコ探偵水曜日」〜

当時の感想など〜

>それと、差し出された手をはねのけるくせに本当は脆い女が好き〜

なかなか各方面でお返事が滞りましてすみません。

ディスコ探偵水曜日』、あれはもうどのくらい前でしょうかね、確かに文庫で買いました。上中下に分かれていたかと思いますが、上巻しか読めませんでした。想像してた内容より性的だったのと、ファンタジーというか時空がどうかなってるみたいな、そんなような感じで、当時はあまりはまれなかったんだと思います。でも梢ちゃん?だったか、あの女の子は可愛いな〜と思いました。あと文庫版の表紙、あれはめちゃくちゃ可愛いかったので、ジャケ買いの人もいっぱいいたのかな〜と思います。

話の筋とかは記憶に残ってないので、あんまり感想も言えなくてすみません(ヽ´ω`)

>『差し出された手を〜』については、はっきりとこのキャラクターと指すものはなくて、色々なところから集めたわたしの中のイメージかもしれません。例えば中森明菜さんの『BLOND』(歌詞、衣装、振付け含めたこの曲の明菜さんの雰囲気)とか、GS美神の美神さんとか、イイ女、美人で気が強くて、簡単にはなびきそうもなくて、でも本当は脆さを隠している孤独を、一人で振りきって平気な顔しているような女、という感じですかね。

芯から強い人間ではなくて、でも自分をはっきりさせたいから突っ張って、伸ばされた手を素直にとれなくて、誰にも芯から心を委ねて安心することができない、そんな女でしょうか。

ここまで書いていて、なんかデラックスなオカマの方の後ろ姿が……見えてきたような……

_(┐「ε:)_

それはつまり、デラックスさんはゴーストスイーパーなんですかね?

めっちゃ霊能力強そうですよね。あの声で「吸引!!」って叫ばれたら、十円のお札でもラスボス吸い込みそう。「まあぶっちゃけ極楽なんてあるのか無いのか分かんないけどさ、何の因果かアタシもこれでメシ食ってるオカマなのよ」って突っ張り棒かなんかでバシバシ霊をしばいてほしい。攻撃を受けて、結った髪の毛がほどけてからが本番です。あと横島くんが、すごいたくましい髭のラグビー部みたいな男に変更されそう。そしてヤバイ事件の時はIKKOさんを呼んでほしい。すごい強い。どんだけ~!って叫んだら半径100メートルの霊はすべてキラキラのヘアメイクされて消滅するみたいな技を持っている。

わたしもゴーストバスターズとして、背中に掃除機かついで参加したいです。

変な話になってしまいましたが、拍手ありがとうございました!

終末から一歩離れて

たまに行くお店で、店員さんがにこやかに接客していたのに、そのお客が出て行った途端ものすごい悪口と嘲笑が始まって、わたしはまだ店内にいるのに、悪口大会を聞かされてしまうお店がありまして、まあそれについて是非を問いたいのではなく、だんだんとこれはわたしの陰が薄いせいなのか?と思いまして、他のお店でも店員さんに話しかけると「うわっ!」と驚かれたり、過去に家の中でも隣に立って母に話しかけると「ぎゃっ!いたの!?」と心臓に負担をかけていたので、わたしはよほど『気』みたいなものを発していないんじゃないかと思います。暗殺者にぴったり。

多分ですが、物音を立てないからかなと思います。鬱の人は生気がないんだろうなとも思いますが。

母がどんどん悪くなっていった頃、まだ家で生活していましたが、本当にいわゆる『気』が無くなっていました。目の前にいるのに圧力がなくて、そこにいるのに投影された立体映像みたいなんですよね。紙っぺらみたいに感じる。厚みがないというか。

本人に言うわけにいかないし、自分の中で飲み込むのも、まあ、しんどかったですね。

母の病気が発覚し、それが治癒しないと分かってから、辛かったのはテレビで有名人が闘病を告白することでした。同病相憐れむ、とはいかず、病気のことはなるべく忘れて日常生活を送りたいと思っているのに、どの局でも病名を大文字で映していて、それがだいたいは母より軽症で、母には使えない治療について語っていたり、治療で快癒した体験談だったりすると、心から「良かったね!」という気持ちになれるほどわたしは人間ができておらず、ぎりぎりのラインで上にいった人たちを、ラインの下から複雑な気持ちで見ていました。そのラインははっきりといつでも目の前に見えていて、そこを乗り越えられないわたしたちは、下に下に、引っ張られていくわけです。

あの頃、そのラインを乗り越えることを一部の人に可能にする治療法が話題になっており、母にも保険適用されました。わたしたちは母が『一部の人』であることを固く固く信じました。ラインを乗り越えた人が、もう余命を十数年過ぎているのにこんなに元気で、と体験談を語っているのを見るにつけ、うちの母だってそうなるんだ、絶対に、この治療ですべてを覆して、元の生活に戻るんだと、まだまだ母の人生は続いていくし、そしたらいつか行こうと言ってたあそこにも行くしあそこにも行こうよと、元に戻ることは確定していると信じることで、平静を保っていました。

だけど結局、母にその治療は効果がありませんでした。母は病室でぽつりと、

「夢を見ちゃったのかね」

と言いました。わたしは何も言えませんでした。母の病気と余命を決定的に覆せるのはその治療法だけで、それがダメだったのなら、もう、近々母が死ぬことはその時確定したのです。延命はいくらかできるかもしれないけど、でも、もう元のレールには戻れない。

素人だし冷静な判断もできなかったので、間違っている部分もあるかと思います。でもこれがその時の患者と家族の気持ちでした。

神様なんていないと思いました。母は確かにややこしい人間ではあったけど、犯罪をおかしたこともなく、勤勉で、整理整頓と掃除に励み、節約して外食もほとんどせず、若い頃から身寄りもないような状態で、それでも働いて堅実に生きてきた人です。定年退職しても行きたいところも行けず食べたいものも食べられない、貧乏生活で病気の娘を抱えていました。

一度くらい何かが恵まれるんじゃないかと期待して生きてきましたが、何も恵まれませんでした。

病気に関して言えば、母には何の治療も効かなかったです。何もしないほうが良かったです。副作用に苦しんだだけでした。馬鹿みたいです。貴重な残り時間に、意味のない苦しみを追加してしまいました。本当に馬鹿みたいです。

人生はトータルするとプラスマイナス0だとよく言います。でもわたしは、プラスで生まれてプラスのまま死ぬ人もいるし、マイナスで生まれてマイナスのまま終わる人もいると思います。プラスとマイナスの定義も人それぞれだし、他人の人生を勝手に採点するつもりもないけど、人の一生に対してプラマイゼロの救済みたいなものは無いとわたしは思う。ただ、どんな環境だったり出来事だったりがあったとしても、心だけは変えることができるから、目に見えない部分でその人は大きくプラスで終わっているということはあると、信じたいと思います。

緩和病棟というものについて、わたしはよく分かりません。母はそこに入る前に亡くなったからです。

緩和病棟へ移ることを提案するのは、すごく難しいのではないでしょうか。

前述の治療が効いていないと判断されて、主治医は緩和病棟の話ばかりになりました。苦痛をとることにかけてはあちらがプロだし、そっちに移ったことで寿命が延びた人もいるんですよ、と。

主治医が帰って、母は、

「あの先生、もうあたしたちを見捨てたね」

と言いました。主治医の意図はそうじゃなかったと思いますが、ともかく患者はそう感じたということです。積極的な治療を専門とする主治医にはもう打つ手がなく、患者のためには移動したほうがいいと判断したのでしょうが、やっぱり、まだ平均寿命まで遠い患者からすれば、『お前はもう死ぬしかないんだから、あちらに行って』と言われたように感じてしまったのでしょう。

何度も何度も絶望の波が来ます。

ツイッターにも書きましたが『ここに男がいたらよかったのに』と思うことが何度もありました。父親、もしくはわたしの夫。男がいることで患者サイドに重石というか、医療者へ緊張をもたらすのではないかと思ったわけです。つまり、軽んじられている、嫌な言い方をすれば舐められていると感じることが何度かあったわけです。

それがわたしの被害者意識なのか、医療スタッフからすれば笑い飛ばすようなバカバカしい妄想かもしれませんが、とにかくわたしだけじゃだめだと強く感じていました。

一応、母方にも血族はいまして、そちらの対応があんまりにあんまりすぎるということを人が言った時に、わたしは自然と「今お母さんはわたししか見てないと思うから、そんな人たちがどうしたこうしたなんて、どうとも思ってないよ」と口にしていました。一人っ子なのもあるし、ずっとふたりで暮らしてきて、お互いに仕事が無くなってからの数年は、家でもずっと一緒、買い物も出かけるのもずっとふたりでした。わたしたちは母娘であり、かつ一番近くにいる友達だったと思います。わたしはなんだかんだ甘えていたし、母も難しいことはわたしに頼っていたし、母が家の中をきれいにして、ご飯を作って、ふたりでよく動物のテレビを観ていました。テレビは一台しかないし、同じ番組を観ながら文句を言ったり、買い物に行

っては服や化粧品や靴などを、相談しながら買っていました。

今、可愛いな、と思う服があっても、

「ねえこれ見て、可愛くない?」

「あらいいしょ」

「いいよね、2千円だわ」

「買いなそれ、いいわ」

と母と相談することができないので、買えずに帰ってきてしまいます。山+風の人たちが解散することも、「ねえお母さんヤバイ見て解散だって!」と言いたい。近所の酒屋に猫がいたことも、「ねえちょっといたさ、○○に猫!目の前にいるの!」と、家に電話をかけることがもうできない。家にかけるといつも、「ハイ、たぬき1号です」なんてふざけて出てくれた。もうかけても出ない。世界中のどこの電話にかけたって出ない。

死んだらどこに行くんだろう、と寝る前に毎晩考えている。朝まで眠れない日が多くて、夜中だけ台所でパタ、パタ、と鳴る不思議な音を聞いていると、母は台所にいるのかもしれないと思う。コーヒーを飲もうとしているのか、朝のトーストを焼こうとしているのか。

母はもう深呼吸ができるだろうか。走れるだろうか。自分の足で階段を上れるんだろうか。思うように自由に喋れるだろうか。そして大好きなお風呂にどぶんと浸かって、温まることができるんだろうか。昔みたいに、朝までぐっすりと眠って、起きたらバタバタと家中のゴミを片付けてくれるだろうか。

そしたら一緒にイオンに行って、服を見て、バッグや靴を見て、マックでサンデーのチョコを食べて、100円ショップを見て、化粧品を見て、いつものようにトイレットペーパーと箱のないティッシュペーパーを両手に提げて帰る。イオンカードの優待でこんなに安かった!と言って、明日も当然同じことができると疑いもなく、ゆっくり隣で眠りたい。そしたらわたしももう、目覚めなくていいと思っている。

死んだらどこに行くのだろう

Twitterの方でも書きましたが、拍手コメント、メルフォ、メールを頂きありがとうございました。遡って個別にお返事したいのですが、生きてることと、通院することで精一杯でして、お礼だけでどうか勘弁して下さい。

どなたかが、『あなたの身体を考えてお母さんは早くいってしまったのかなと思う』と書いておられましたが、その通りだと思います。病気が判明して、4ヶ月でいってしまいました。その分、苦しむ時間も少なく済んだのかもしれません。最後の方にはわたしがかなり痩せてしまったので、母親に「あんた痩せたわ……すごい痩せたね」とぽつりと言われ、きっと母は自分のせいだと思っていたと思います。

わたしは自分の肉体の限界まで動いたと思います。よくあれだけ動いたなと思うし、まわりからも驚かれました。でも最中のわたしが考えていたことはただ1つで、『わたしは今、人生で働く時期なんだ』と、それだけです。だからきっと、最後までわたしは頑張れると変な確信がありました。

身バレ防止のために具体的には書けませんが、母は死の直前からいくつも偶然では説明がつかない『偶然』を起こしました。それは全部わたしを助けるためのもので、いるはずのない人がなぜか現れてわたしを助けてくれたり、とにかく人を母は集めました。それがどんどん転がって、当初の予定とはかけ離れたいい所へ、母は納まることができました。

生前、母は「お願いだから、3年でも5年でもいいから生かしてほしい」と神様にお願いをしていました(無宗教なので、日本人が漠然と言う『神様』です)。そのうち「3ヶ月でもいいから、動ける時間を下さい」になり、それから1週間ももたずにいってしまいました。直前には、「何も叶わなかったけど、最後のお願い。杏紗が幸せに生きられるように。これくらい叶えてくれるでしょう。あたしの一生一度のお願い」と言っていました。

母の寿命は延びず、わたしが幸せに生きられるかどうかはまだまだ分かりませんが、その時わたしは神なんていないと激しく憎んでいたけど、神は(くどいですが、どこのどんな神様かは想定していません)生死を覆すことはできなくても、供養もなく公営の納骨所に骨をざーっと入れるだけの予定だった母を、お寺に納められるように人を集めてくれました。葬儀はできなかったですが、四十九日の法要はきちんとやりました。お坊さんとわたしの二人でしたが。

それだけが、わたしができた親孝行です。あと1つ挙げるなら、数年前に死にかけた時に死ななかったこと。今回こうして母に死なれて、ああ逆じゃなくて良かったと、しみじみと思いました。家に遺された布団、服、靴、化粧品、メモ、本、小物、書類にはっきりと「死亡」の文字、これを親にやらせなくて良かったと思いました。