夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。母を亡くしました。御用のある方はサイドバーのメールフォームからお願いします。拍手ボタンは遥か下へ。ついったー→@azusa_tsubuyakiも宜しくです。

拍手お返事です

>「ディスコ探偵水曜日」〜

当時の感想など〜

>それと、差し出された手をはねのけるくせに本当は脆い女が好き〜

なかなか各方面でお返事が滞りましてすみません。

ディスコ探偵水曜日』、あれはもうどのくらい前でしょうかね、確かに文庫で買いました。上中下に分かれていたかと思いますが、上巻しか読めませんでした。想像してた内容より性的だったのと、ファンタジーというか時空がどうかなってるみたいな、そんなような感じで、当時はあまりはまれなかったんだと思います。でも梢ちゃん?だったか、あの女の子は可愛いな〜と思いました。あと文庫版の表紙、あれはめちゃくちゃ可愛いかったので、ジャケ買いの人もいっぱいいたのかな〜と思います。

話の筋とかは記憶に残ってないので、あんまり感想も言えなくてすみません(ヽ´ω`)

>『差し出された手を〜』については、はっきりとこのキャラクターと指すものはなくて、色々なところから集めたわたしの中のイメージかもしれません。例えば中森明菜さんの『BLOND』(歌詞、衣装、振付け含めたこの曲の明菜さんの雰囲気)とか、GS美神の美神さんとか、イイ女、美人で気が強くて、簡単にはなびきそうもなくて、でも本当は脆さを隠している孤独を、一人で振りきって平気な顔しているような女、という感じですかね。

芯から強い人間ではなくて、でも自分をはっきりさせたいから突っ張って、伸ばされた手を素直にとれなくて、誰にも芯から心を委ねて安心することができない、そんな女でしょうか。

ここまで書いていて、なんかデラックスなオカマの方の後ろ姿が……見えてきたような……

_(┐「ε:)_

それはつまり、デラックスさんはゴーストスイーパーなんですかね?

めっちゃ霊能力強そうですよね。あの声で「吸引!!」って叫ばれたら、十円のお札でもラスボス吸い込みそう。「まあぶっちゃけ極楽なんてあるのか無いのか分かんないけどさ、何の因果かアタシもこれでメシ食ってるオカマなのよ」って突っ張り棒かなんかでバシバシ霊をしばいてほしい。攻撃を受けて、結った髪の毛がほどけてからが本番です。あと横島くんが、すごいたくましい髭のラグビー部みたいな男に変更されそう。そしてヤバイ事件の時はIKKOさんを呼んでほしい。すごい強い。どんだけ~!って叫んだら半径100メートルの霊はすべてキラキラのヘアメイクされて消滅するみたいな技を持っている。

わたしもゴーストバスターズとして、背中に掃除機かついで参加したいです。

変な話になってしまいましたが、拍手ありがとうございました!

終末から一歩離れて

たまに行くお店で、店員さんがにこやかに接客していたのに、そのお客が出て行った途端ものすごい悪口と嘲笑が始まって、わたしはまだ店内にいるのに、悪口大会を聞かされてしまうお店がありまして、まあそれについて是非を問いたいのではなく、だんだんとこれはわたしの陰が薄いせいなのか?と思いまして、他のお店でも店員さんに話しかけると「うわっ!」と驚かれたり、過去に家の中でも隣に立って母に話しかけると「ぎゃっ!いたの!?」と心臓に負担をかけていたので、わたしはよほど『気』みたいなものを発していないんじゃないかと思います。暗殺者にぴったり。

多分ですが、物音を立てないからかなと思います。鬱の人は生気がないんだろうなとも思いますが。

母がどんどん悪くなっていった頃、まだ家で生活していましたが、本当にいわゆる『気』が無くなっていました。目の前にいるのに圧力がなくて、そこにいるのに投影された立体映像みたいなんですよね。紙っぺらみたいに感じる。厚みがないというか。

本人に言うわけにいかないし、自分の中で飲み込むのも、まあ、しんどかったですね。

母の病気が発覚し、それが治癒しないと分かってから、辛かったのはテレビで有名人が闘病を告白することでした。同病相憐れむ、とはいかず、病気のことはなるべく忘れて日常生活を送りたいと思っているのに、どの局でも病名を大文字で映していて、それがだいたいは母より軽症で、母には使えない治療について語っていたり、治療で快癒した体験談だったりすると、心から「良かったね!」という気持ちになれるほどわたしは人間ができておらず、ぎりぎりのラインで上にいった人たちを、ラインの下から複雑な気持ちで見ていました。そのラインははっきりといつでも目の前に見えていて、そこを乗り越えられないわたしたちは、下に下に、引っ張られていくわけです。

あの頃、そのラインを乗り越えることを一部の人に可能にする治療法が話題になっており、母にも保険適用されました。わたしたちは母が『一部の人』であることを固く固く信じました。ラインを乗り越えた人が、もう余命を十数年過ぎているのにこんなに元気で、と体験談を語っているのを見るにつけ、うちの母だってそうなるんだ、絶対に、この治療ですべてを覆して、元の生活に戻るんだと、まだまだ母の人生は続いていくし、そしたらいつか行こうと言ってたあそこにも行くしあそこにも行こうよと、元に戻ることは確定していると信じることで、平静を保っていました。

だけど結局、母にその治療は効果がありませんでした。母は病室でぽつりと、

「夢を見ちゃったのかね」

と言いました。わたしは何も言えませんでした。母の病気と余命を決定的に覆せるのはその治療法だけで、それがダメだったのなら、もう、近々母が死ぬことはその時確定したのです。延命はいくらかできるかもしれないけど、でも、もう元のレールには戻れない。

素人だし冷静な判断もできなかったので、間違っている部分もあるかと思います。でもこれがその時の患者と家族の気持ちでした。

神様なんていないと思いました。母は確かにややこしい人間ではあったけど、犯罪をおかしたこともなく、勤勉で、整理整頓と掃除に励み、節約して外食もほとんどせず、若い頃から身寄りもないような状態で、それでも働いて堅実に生きてきた人です。定年退職しても行きたいところも行けず食べたいものも食べられない、貧乏生活で病気の娘を抱えていました。

一度くらい何かが恵まれるんじゃないかと期待して生きてきましたが、何も恵まれませんでした。

病気に関して言えば、母には何の治療も効かなかったです。何もしないほうが良かったです。副作用に苦しんだだけでした。馬鹿みたいです。貴重な残り時間に、意味のない苦しみを追加してしまいました。本当に馬鹿みたいです。

人生はトータルするとプラスマイナス0だとよく言います。でもわたしは、プラスで生まれてプラスのまま死ぬ人もいるし、マイナスで生まれてマイナスのまま終わる人もいると思います。プラスとマイナスの定義も人それぞれだし、他人の人生を勝手に採点するつもりもないけど、人の一生に対してプラマイゼロの救済みたいなものは無いとわたしは思う。ただ、どんな環境だったり出来事だったりがあったとしても、心だけは変えることができるから、目に見えない部分でその人は大きくプラスで終わっているということはあると、信じたいと思います。

緩和病棟というものについて、わたしはよく分かりません。母はそこに入る前に亡くなったからです。

緩和病棟へ移ることを提案するのは、すごく難しいのではないでしょうか。

前述の治療が効いていないと判断されて、主治医は緩和病棟の話ばかりになりました。苦痛をとることにかけてはあちらがプロだし、そっちに移ったことで寿命が延びた人もいるんですよ、と。

主治医が帰って、母は、

「あの先生、もうあたしたちを見捨てたね」

と言いました。主治医の意図はそうじゃなかったと思いますが、ともかく患者はそう感じたということです。積極的な治療を専門とする主治医にはもう打つ手がなく、患者のためには移動したほうがいいと判断したのでしょうが、やっぱり、まだ平均寿命まで遠い患者からすれば、『お前はもう死ぬしかないんだから、あちらに行って』と言われたように感じてしまったのでしょう。

何度も何度も絶望の波が来ます。

ツイッターにも書きましたが『ここに男がいたらよかったのに』と思うことが何度もありました。父親、もしくはわたしの夫。男がいることで患者サイドに重石というか、医療者へ緊張をもたらすのではないかと思ったわけです。つまり、軽んじられている、嫌な言い方をすれば舐められていると感じることが何度かあったわけです。

それがわたしの被害者意識なのか、医療スタッフからすれば笑い飛ばすようなバカバカしい妄想かもしれませんが、とにかくわたしだけじゃだめだと強く感じていました。

一応、母方にも血族はいまして、そちらの対応があんまりにあんまりすぎるということを人が言った時に、わたしは自然と「今お母さんはわたししか見てないと思うから、そんな人たちがどうしたこうしたなんて、どうとも思ってないよ」と口にしていました。一人っ子なのもあるし、ずっとふたりで暮らしてきて、お互いに仕事が無くなってからの数年は、家でもずっと一緒、買い物も出かけるのもずっとふたりでした。わたしたちは母娘であり、かつ一番近くにいる友達だったと思います。わたしはなんだかんだ甘えていたし、母も難しいことはわたしに頼っていたし、母が家の中をきれいにして、ご飯を作って、ふたりでよく動物のテレビを観ていました。テレビは一台しかないし、同じ番組を観ながら文句を言ったり、買い物に行

っては服や化粧品や靴などを、相談しながら買っていました。

今、可愛いな、と思う服があっても、

「ねえこれ見て、可愛くない?」

「あらいいしょ」

「いいよね、2千円だわ」

「買いなそれ、いいわ」

と母と相談することができないので、買えずに帰ってきてしまいます。山+風の人たちが解散することも、「ねえお母さんヤバイ見て解散だって!」と言いたい。近所の酒屋に猫がいたことも、「ねえちょっといたさ、○○に猫!目の前にいるの!」と、家に電話をかけることがもうできない。家にかけるといつも、「ハイ、たぬき1号です」なんてふざけて出てくれた。もうかけても出ない。世界中のどこの電話にかけたって出ない。

死んだらどこに行くんだろう、と寝る前に毎晩考えている。朝まで眠れない日が多くて、夜中だけ台所でパタ、パタ、と鳴る不思議な音を聞いていると、母は台所にいるのかもしれないと思う。コーヒーを飲もうとしているのか、朝のトーストを焼こうとしているのか。

母はもう深呼吸ができるだろうか。走れるだろうか。自分の足で階段を上れるんだろうか。思うように自由に喋れるだろうか。そして大好きなお風呂にどぶんと浸かって、温まることができるんだろうか。昔みたいに、朝までぐっすりと眠って、起きたらバタバタと家中のゴミを片付けてくれるだろうか。

そしたら一緒にイオンに行って、服を見て、バッグや靴を見て、マックでサンデーのチョコを食べて、100円ショップを見て、化粧品を見て、いつものようにトイレットペーパーと箱のないティッシュペーパーを両手に提げて帰る。イオンカードの優待でこんなに安かった!と言って、明日も当然同じことができると疑いもなく、ゆっくり隣で眠りたい。そしたらわたしももう、目覚めなくていいと思っている。

死んだらどこに行くのだろう

Twitterの方でも書きましたが、拍手コメント、メルフォ、メールを頂きありがとうございました。遡って個別にお返事したいのですが、生きてることと、通院することで精一杯でして、お礼だけでどうか勘弁して下さい。

どなたかが、『あなたの身体を考えてお母さんは早くいってしまったのかなと思う』と書いておられましたが、その通りだと思います。病気が判明して、4ヶ月でいってしまいました。その分、苦しむ時間も少なく済んだのかもしれません。最後の方にはわたしがかなり痩せてしまったので、母親に「あんた痩せたわ……すごい痩せたね」とぽつりと言われ、きっと母は自分のせいだと思っていたと思います。

わたしは自分の肉体の限界まで動いたと思います。よくあれだけ動いたなと思うし、まわりからも驚かれました。でも最中のわたしが考えていたことはただ1つで、『わたしは今、人生で働く時期なんだ』と、それだけです。だからきっと、最後までわたしは頑張れると変な確信がありました。

身バレ防止のために具体的には書けませんが、母は死の直前からいくつも偶然では説明がつかない『偶然』を起こしました。それは全部わたしを助けるためのもので、いるはずのない人がなぜか現れてわたしを助けてくれたり、とにかく人を母は集めました。それがどんどん転がって、当初の予定とはかけ離れたいい所へ、母は納まることができました。

生前、母は「お願いだから、3年でも5年でもいいから生かしてほしい」と神様にお願いをしていました(無宗教なので、日本人が漠然と言う『神様』です)。そのうち「3ヶ月でもいいから、動ける時間を下さい」になり、それから1週間ももたずにいってしまいました。直前には、「何も叶わなかったけど、最後のお願い。杏紗が幸せに生きられるように。これくらい叶えてくれるでしょう。あたしの一生一度のお願い」と言っていました。

母の寿命は延びず、わたしが幸せに生きられるかどうかはまだまだ分かりませんが、その時わたしは神なんていないと激しく憎んでいたけど、神は(くどいですが、どこのどんな神様かは想定していません)生死を覆すことはできなくても、供養もなく公営の納骨所に骨をざーっと入れるだけの予定だった母を、お寺に納められるように人を集めてくれました。葬儀はできなかったですが、四十九日の法要はきちんとやりました。お坊さんとわたしの二人でしたが。

それだけが、わたしができた親孝行です。あと1つ挙げるなら、数年前に死にかけた時に死ななかったこと。今回こうして母に死なれて、ああ逆じゃなくて良かったと、しみじみと思いました。家に遺された布団、服、靴、化粧品、メモ、本、小物、書類にはっきりと「死亡」の文字、これを親にやらせなくて良かったと思いました。

夜中にトイレに起きたら母がさらに苦しそうで、呼吸はゼロゼロ聴こえるし、下顎呼吸に見えてぎょっとしてナースコールした。

酸素チューブじゃなくてマスクにしようとしたけど、本人が無意識に嫌がって外してしまう。

昼間から、呼びかけてもほとんど覚醒してくれなくなって、ずっと寝てる。ここ数日そうだけど、今まではちょっと呼べば起きてた。でも今は看護師が何回か強く呼びかけて、やっと返事をするくらい。でも先生が回診に来た時はハッキリ起きてたりする。

夢を見るのか分からないけど、たまに声を出してうなずいたりしてて、目が覚めた時に「冷蔵ケース……大丈夫?」とか言ってくる。何日か前、初めてそんなことになった時はショックだったけど、今はもう流せる。

苦しくないようにと思う。

自分の受診(他院)があってタクシーに乗った時、ラジオから浜ちゃんの「チキンライス」が流れてきた。

出だしから浜ちゃんの声が、問いかけてくるようで、あれからずっと頭の中に流れている。

お返事です

10/26の拍手お返事です。

ララクラッシュ今年も販売開始〜

去年の方がパッケージは〜

味が同じなので〜

今年焼き芋味が無くコーヒー味の〜

札幌なう〜

ラーメンサラダ〜

コメントありがとうございます!

遅くなりましてm(_ _)m

ララクラッシュの杏仁、やっぱりパッケージ違いますよね!去年の方がひと目で杏仁!って感じだったような。

味が変わってなくてよかったです〜ミルク系のゼリーが好きなので、これは本当にヒットしてます (。゚ω゚) ♡

焼き芋味にはついに出会えずじまい……あまり売れなかったのかな……

コーヒー味見ました!が!蒟蒻とコーヒーがわたしのなかで咀嚼できず……チャレンジできていません_(┐「ε:)_

遅くなりましたが札幌で寒い思いをされなくてよかったです♪ラーメンサラダは飲み会でよく出てきますが、皆ラーメンばっかり取るのでレタスと玉ねぎだけ残され見捨てられる(ドレッシングもかかってない)という切ないメニューです。

10/27のメルフォお返事です。

スレイヤーズ原作派は杏紗さんのように考えて〜

>〜「俺はお前を守るために生まれてきたんだ、もう2度と裏切らない〜

>〜挫折は知らず〜

〜「自分の中の悪意〜

メッセージありがとうございます!遅くなりましてm(_ _)m

今あまり時間がないのもあって短いお返事になってしまいますが、ナルホド原作派はそういう考えの人が多いんですね。色んなとこで色んなものを見ますが、アニメ基準のドタバタテンションをよく見るものですから……自分は異端なのかと思い、本音を出せずに……_(┐「ε:)_

>「俺はお前を守るために生まれて〜」

もし『俺』の方が誕生日が早かったら、なんか変な感じになりそうな決め台詞ですね。まあ後に生まれる『お前』を守る運命を背負って、先に地上に降り立ったということなのかもしれませんが……

そうですね〜もし自分が言われても感動しないし、好きなキャラが言ってもなんか肯定できないなって思ってしまいますね(-_-;)そして一度は裏切ったんだ!?と、今、メッセージを読み返して病院のイスから落ちそうになりました。

一緒に並んで生きていきたいのに、こちらを生きる理由にされると、その人が空っぽに思えてしまうし、その人の人生を逆にこちらが背負わなければならないみたいで、ちょっと嬉しくないかなあと思います。

その次のテーマですが、わたしは常々「あんたの好みのタイプは?」という問に「一度ものすごい不幸な目に遭って立ち直った人」と答えるので、結果誰も紹介されないという孤独なアラサーなわけですが、幸せな人は傲慢だし、分かっててそう在るならそれはその人の生き方ですから好きにしたらいいんですけど、問題は本人が無自覚で、周囲もわりにその人を「いい人」だと思ってる場合ですよね。幸せな人って、まあまあ「いい人」なんですよね。歪んでないから。

と、今回はこのあたりで失礼させて頂きますm(_ _)m

何か事件が起きた時に地元の人がインタビューで「ここに○十年住んでるけど、こんな事件は初めてです」と答える場面をよく目にするのですが、引ったくりとか万引きならともかく、すごく特殊な事件だったりすると、「そりゃ初めてだろうね……」とテレビに向かって呟いてしまうのですがいかがでしょうか。

おなかすいた……

前回のブログから、母は退院してまた入院しております。

わたしの方は初めての大腸カメラを鎮静剤なしでやりまして、病院に着くなり過呼吸で別室に行ったり色々しましたが、結果としてはポリープ1つ無いとのことで安心しました。

大腸カメラをやる前に飲む2リットル近い下剤みたいなやつ+水分を飲むのが辛いという声を聞いていましたが、わたしはそれは特に平気でした。飲むのが好きなので。

検査中もひたすら呼吸に集中して脱力していれば、まあ痛いポイントはありますけど、この怖がりなわたしですら、次回も鎮静剤は無くていいなあと思うくらいの苦痛の程度でした。

胃カメラしかり大腸カメラしかり、嫌ですけど終わればすぐ忘れますから、忘れて美味しいもの食べたり遊んだりできますから、やっとくべきですね。たった半日くらいの苦痛と、長い人生の豊かさを、天秤にかけられないですよね。

祖母が亡くなって4年が経過していたことを知る。

なぜ教えてくれなかったのかと聞くと、生前の本人の意志、とのみ。

生前、「孫の中ではあんたが1番好き」と言われていて、ただやっぱり親の離婚と親戚との疎遠から、十数年会う機会が無かったことは事実で、だけど、どうして教えてもらえなかったのか、わたしには分からないし、聞いても教えてもらえませんでした。

ツイッターにも書きましたが、ずっとわたしは誰の戸籍に入っているんだろうと思っていて、たまたま先日、初めて戸籍をとる機会があったのでようやく判明しました。

こういうのって、夫婦間でどういうふうに決めるんでしょうね。わたしは離婚後に父と1度も会ってないですが、父の戸籍になってるんですよね。ずっと母と住んでるんですけど。学費を出してたから?良く分かんないけど、父の性格からして自分の戸籍から手放さないだろうなと思っていたので、まあ納得だし、もし母の戸籍に入ってたとしたら、それはそれで違和感というか、違うという感覚があったとは思います。

拍手等のコメント返しができてなくて申し訳ないです。

もう少し余裕が出たらと思いますので、もう少しお待ちを……