夜中のひと匙

日々、思いついたことを誰かに話したいブログ。難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。放射線治療経験済み。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。拍手ボタン(PC版のみ)でもコメントできます。ついったー→@azusa_tsubuyaki

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SAN値は大丈夫ですので、残り2通をお待ちしておりますね^^

拍手お返事

拍手お返事です。

11/28の方。

慎重に確認をして下さってありがとうございます。

なかなか物騒なワードやディープな世界になっているようですね。『まごころを〜』は未見ですが内容は知っています。語れるほどではないですが、多分ついていけるかと。

特に嫌な予感はしません、というか、いったいどんな事なのか気になって仕方ないです^^;

例に上げて頂いた単語に嫌悪感や恐怖などはありませんし、精神論は自分と違う考え方でも興味がありますので、ご期待に沿えるかは分かりませんが、どうぞ躊躇せずお話し下さい。

その他の方もぱちぱちありがとうございました!

難病の話と何様そうですわたし様!の話

難病のほうがなんかよくないんですよねえ。

きちんと服薬しているのに、検査すると数値が出てこないという。十分な量を飲んでるのに、値が低い。複数の薬を飲んでいますが、別のは別ので、高い値の時と低い値の時の差が大きすぎる。

一年ほど前から起こり始めた体調不良も、もしかしたら薬の不安定さから○○不全を起こしている可能性もあるけど、どうだろうなあと、結局はっきりしなくて、とりあえず薬は増量。

この2年くらいで、身体がどんどん弱くなってる気がする。

これじゃ将来の見通しが立たない。

回復力がないのかなあ。何日経ってもだるくて疲れてて微熱があって……

あーあ。

愚痴なんですけど、団塊の世代の思考って本当に理解できないという話。

先日母親が、通っているクリニックの待合室にいたところ、風邪と思われる患者さんたちで非常に混んでいて、なかなか呼ばれない。まわりはゴホゴホ咳込んでいて、マスクをしていない母親は、ここにいたら伝染りそう……と思いながら座っていたそうで、帰宅後わたしに言ったのが、

「ほんっと気がきかないよねぇ。ああいう時はさ、看護師でも受付でもいいから、そっとマスクを持ってきて『大丈夫?どうぞこれして下さい』って言うくらいできないのかねえ。本当に気がきかないわ。」

という主張でした。あえて何も言いません。

次。

母親の知人が先日、よく行くクリニックに行き、診察ついでにインフルエンザのワクチンも打ってちょうだいと言ったら、「ただいま在庫がない状態で……」と順番待ちになってしまったそうで、

「そんなのおかしくない?順番待ちだって!」

「テレビでやってるの見たじゃん、今年はワクチンが足りないから困ってるって。早めに予約しないとだめなんだって」

とわたしが言うと、母親は、

「だって常連なのよ?そういう患者さんのためには、言われなくたってあらかじめよけておくくらいのこと、病院って考えられないのかねぇ」

声を大にして、せーの、

ばーーーーーーーーーか。

母親のロジックとか社会システムへの認知とかすべてがぶっ壊れているのであえて指摘はしませんが。

この言葉を送りたい。

論理的に負けたと途中で気づいた時、突然キレて話を終わらせようとするそのごまかしは100%ばれています。余計にかっこ悪いのでやめたほうがいいです。

拍手お返事

11/21にコメントを下さった方。

コメントありがとうございます!

実はわたしも以前から、拍手コメントというのは省略しているとはいえメッセージ内容が見えますし、お返事も丸見えなので、匿名という利点があるとはいえ気になる部分もあると思っていました。

お話し頂いた内容についてですが、わたしは全然かまいませんよ!

ただ上記のことがあるので、もしアレでしたら

ameyan_1234☆yahoo.co.jp(☆→@)

にメールでも大丈夫です。

もちろん拍手からでもかまいませんので、お好きなほうでどうぞ。

他の方も何かあればメール利用して下さい。

※1週間以内にお返事できると思いますが、もし全然音沙汰がない場合トラブルの可能性がありますので、拍手からお問い合わせ下さい。

常にcoming soonでちっとも実現しないからまだ夢を見られる

ラノベのタイトル長いブームに乗ってみました(遅い)。

なんかブログを書こうとすると、ある程度長くて中身があって論理的におかしくないものをといつからか思ってしまって、変に書けずにいました。改行をどこでするかの問題に近い。こういうネットの横書き文章はサクサク改行して行間も空けるのが読みやすいと分かってはいるのですが、小学生の国語のように意味のある段落で云々とか考えてしまって、わたしのブログはひたすら改行せず続いていくのですね。漢数字と算用数字も色々ありますけど、そのへんは読みやすいようにと思っています。

いま病院の待合室にいて、あと2時間近くは呼ばれないだろうなと思うので、この記事はきっと投稿できると思います。最後に書きますね、結局待合室から投稿できたかどうかを('_')〜♪

ついったーにちょこっと書いたのですが、ここのところのわたしは浮世の義理でハンドメイドをやっております。小物とかアクセサリーを作って、友人のイベントを手伝っているという感じです。数年前からやっているんですが、精神的に安定しないので計画的に進めることができず、安定したと思って3〜4日作業していると(1日6時間程度、好きな時に休憩)、突然肉体的に具合が悪くなって、熱が出て十日くらい寝込むというパターンを繰り返しています。今も微熱が一週間近くなってきていて、作業は中断しているんですが、なかなか治らないです。難病の薬を飲むと少しラクになるんですが、よほどの時しか増量できないので我慢してます。

一応ボランティアみたいなものなので、経費とかは使えず自腹です(‘-‘)あーこのお金があったら安○ちゃんのアルバム買えた……と思ったりもしますが、やっぱり何かに参加できることは嬉しいし、お子様たちの楽しみに貢献できていると思えば、まあいいかなと思っています。……みたいにステキな気持ちでいられる時もありますが、まあ人間ですから、なんでこんなことをしてるんだろう……という感情の時もたまにはあります。でもトータルすればやっぱり人と繋がれること、小説もそうですが作品を見て喜んでもらえることはとても幸せなことなので、状況が続くかぎり参加していきたいと思っています。

幸せになってはいけない人っているのかなあ。

たとえば犯罪者とか?でもそれはどんな犯罪からアウトで、どこまでがセーフなんだろう。万引きはセーフとかあるのかな。

人を傷つけた人間には幸せになる資格がないとしたら、きっと全ての人類が幸せになれないけど、そこは傷つけた度合いで判断するのかな。

いままでの人生を振り返って、加害者だったことも被害者だったことも、誰しもあると思う。

それとも、生きている人間は全て、幸せになっていいのかな。

そういうのって誰が決めるのかなあ。

「幸せになっていい」というのは、ある意味「許される」ことだと思う。誰から許されるのか?被害者から?自分自身から?それとも神みたいなすべてを裁く存在から?

子持ちの友人(帰国子女、日本語80%くらい)が色々と悩んで出した結論を教えてくれたんですが、「自分の人生にあるのは来る、でもないのはない(原文ママ)」だそうで、聞いた瞬間なんか素直に受け入れられました。友人が言いたいのは「自分の人生に用意されているものは遅くなってもいずれ手に入るけど、用意されていないものはどうやっても手に入らない」ということだと思います。わたしも、きっとそうなんだろうなと思います。

『諦めるための言い訳』『努力しない奴の負け惜しみ』と思う人もいるかもしれません。でもどう頑張っても手に入らないものはあるし、人との関係には縁が存在すると思うし、その人がどういう範囲で生きる人間かっていうことも、ある程度は決まってるんじゃないかと思います。もちろん努力とか意志で変えられる部分はたくさんあって、でも根本的な、その人が生きている意味みたいなものは、変わらないような気がしています。

矛盾するようだけど、「絶対に夢は叶う」という言葉を、若い時は信じるべきだと思う。

十代なんて巨大ビルのトイレの個室にいるようなものだと思うんですよ。狭い個室の中は何もない。そこで信じた方向に向かってドアを開けるなり破るなり壁をよじ登るなりして廊下に出たら、何階に行くのかどの部屋に入るのか、屋上に行くのもビル自体を出ていくのも選べる。その時に、自分の選択と能力とその先の人生を信じられるから、夢を見られるんだと思う。それはすごく貴重な力だと思います。

もう三十代になって、意識しないうちに自分の人生の範囲が決まってきたように感じて、人生の数多あるジャンルの中の、わたしはこのパターンかあという感覚になりました。目指してここに来たわけじゃないけど、自然に流れたらこういう現状になって、それにはこれまでに知り合った人たちから紹介されたものや頼まれたことや経験したことが積み重なって、一般的なルートとは違うけど、わたしの人生ってこういう感じかなといまは思えています。理想はありますよ、夢みたいな理想の人生、そこではわたしアホみたいに幸せなんですけど、しょうがないですもんねえ。

病気が無ければ確実に違うと思います。通院や服薬の縛りがなければ日本中どこにでも行けるし、外国に住むこともできる。

でも不思議なことに、病気の無い自分は想像できないんですよね。

現在のわたしの考え方とか倫理や規範は、入院とか手術とか深夜のナースステーションでのやりとりとか、死ぬとか生き残るとか、そういうものから出来上がっているので、それを無くしたらもう別人ですよね。

なんというか「しょうがない」って良い言葉だと思いますよ。だいたいの事は「しょうがない」で諦めていける。人生しょうがないことばっかりで、たまにしょうがなくないから、なんとかやっていくんだと思う。

さて最後に「待合室で投稿できたのか?」の答えですが、「深夜二時、布団の中から投稿」が正解でした。珍しいことにあれからすぐ呼ばれまして、結局帰宅してポチポチ書き、いま投稿するところです。

難病のことは診察で色々あったのでまた別の記事で書きたいと思います。

拍手お返事

お待たせしました、拍手お返事です。

10/16の方。

>〜お互い会うことも直接話すこともない赤の他人同士ですが〜

>今までで一番共感した記事は去年書かれた「境界線の内側の優しさ」〜

〜とある作品〜作者のメッセージに心底感銘を受け〜否定せず、絶望感に対する一種の答えを出してくれたのが〜

>ですが、ネットで他の方の感想を読んでみたら罵詈雑言の嵐〜

〜その人達は私と違いその世界を必要としてない〜私が味わったような絶望を経験したことがなく〜理解できなくて嬉々として批判している人達はそれこそ杏紗さんが日記に書かれたような人達だから〜

◇◇◇◇◇◇◇

コメントありがとうございます。遅くなってしまってすみません!

真剣な言葉の一つ一つをじっくりと読ませて頂きました。

そうですね、確かにわたしたちは会うことも直接話すこともない関係です。万一すれ違ってもお互いをお互いだと分からないんですよね。

でもわたしは不定期ながらも生きてる限りブログを続けていくつもりで、それができるのは、こうして読んで下さる方々や、コメントを下さる顔の見えない方々のおかげです。本当に感謝しています。

色々と考えることがあって、それを発信した時に、リアクションを頂けるのは貴重な差し入れみたいなものです。給水ポイントのような存在です。そういう瞬間が、わたしのなかで生きている感覚につながっているような気がします。

「境界線の〜」は、自分なりにせいいっぱい書いた記事でした。

生きている上でどうしようもなく、虚しく苛立つ場面を、溜め込んできた怒りを、文字にして形にしたい、発信したいという強い感情で書きました。

分かります、例えたった一言であっても、こんなに自分の心をうち、求めていることを代弁してくれた作品はないと感じた瞬間の沁みわたるような心の衝撃を、全く理解されない時の呆然とする感じがまさに、「境界線」です。わたしが生きる上で重きを置いている要素が、その人たちには全く理解されない。「は?」くらいの感覚で。全然興味がないし、価値もないし、えーそうは思わないけど?みたいな……。

それは仰っているように、経験していないからなんですよね。それまでの経験によって培われた受信チャンネルを100持っている人と、極端ですが3しか持っていない人がいるんだと思います。でも3は3なりに周囲と共感しあって慰め合ったり盛り上がったりしていて、「幸せって何だろう」とか考えたりしている。

でも彼らの出す答えは100の人から見れば「真に言いたいことを分かっていない、人生に訪れる無常や儚さを知らない、曖昧な中に秘めた激情に気付いていない」と思ったりするわけですよね。

それは確かに選民意識みたいであまりいいものではないですけど、その物語を批判していた人たちも「選民意識」を持っていると思うので、ノーカンということにします。ノーカンってすごい久しぶりに使ったな。

小学校5年の算数をやってる人が、微分積分をやってる高校生に「復習なんかしなくても90点はとれるじゃん、アホじゃね?」って言ってるように、立ってる位置が違うんだから話も通じなければ説明したって分からないんですよね。実際に自分が微分積分をやるところまでいかないと、そんな世界は彼の中にないわけですから、理解できないんですよ。

以前は「わたしの説明が下手だったのかな?」とか考えることもありましたが、そもそも相手はそういう領域に興味もなければ接するつもりもないわけで、お互い徒労に終わるんですよね。

こういう「カバーしている深さ」の違いって決定的ですよね。カレーライスが辛いか甘いかよりよっぽど重大で、水深の違うところに住んでいる二人は芯から交わることはできない。

それを補完していくのは何なのかなあ。

人間はみんな同じ世界、現実に暮らしているのに、それぞれ生きている世界は見えなくて、違うんですね。

>「こんなこと言っても気持ち悪いと思われると〜」とのことでしたが、全然気持ち悪くないですよ、そんな、わたしなんか気持ち悪いことばかり書いて公開しております……^^;

現実ではなかなか真剣すぎたり必死すぎたり劇的だったりして言えないことがあると思いますが、当ブログはいつでも深夜のテンションでお待ちしておりますので、これからもコメントをお願いします!

色々と言って頂けて、なんだか恥ずかしいですが嬉しかったです(^m^)ゲヘヘ

その他の方もぱちぱちありがとうございました!

煎餅の戦い2017&マイバッグにぶっこみ

居間で20枚くらいあるお煎餅を食べてたんですけど、3枚食べたところで母親が来て煎餅の袋を取り上げて、袋の口を縛ってどこかに隠されました。

なんでこんな仕打ちを受けなきゃならんのかと。わたし実子じゃないの?奉公人とか?

洗濯物はわたしが干したら全部外されて干し直されるし、

母親「お皿だして」

私「どのお皿?」

母親「どれでもいいから!」

→わたしが出して並べる

→母親チラ見して戸棚から別の皿を出して使う

こんなことの繰り返しで育ってきたので、自分がこの家の実子である確信が持てないです。見た目も全く似てないし。父親にも似てないし。いったいわたしはどこから来たのか、火星とか?

お金が惜しいから、人に食べられたくないからって、目の前で食べ物を取り上げて隠すなんて、おかしいと思います。

「たくさん食べないでよ」とか、「10枚は残して」とか言えばいいじゃないですか。無言で袋を取り上げるなんて、ちょっと理解できない。相手を人として見ていない。

理解できないことつながりの話ですが、スーパーの食品レジで会計する時に、大きなマイバッグを渡して、スキャンした商品を「店員さんに」バッグに詰めてもらう人をたまに見ますが、あれってどうなんですかねえ。普通にスキャンしていくのに比べて、店員さんの動きに

①会計済みカゴにマイバッグを開いてかぶせる

②商品がバッグにきちんと収まるように計算して整えながら詰める

の行動が加わるので、店員さんも大変だし何より時間がかかるんですよ。

今まで遭遇したのが全て30〜40代女性(購入物からして主婦)だったこともあり、偏見かもしれませんが、まあ偏見だな、わたしはいつもそれを眺めながら「あー主婦向け雑誌に『スーパーでの時短テク!』とかって載ってそうだなあ……」と思ってしまいます。ごめんなさい。やってくれるってことはスーパーはそれを認めているわけで、だとしたらわたしが何を言う権利もつもりもないんですけど、でもなあ、なんていうかこう、遅い!って腹が立つというよりも、

「そこまで他人様の手をわずらわせるのはどうなんだろう?買ったものを代わりに詰めさせるなんて、使用人みたい……」

と思ってしまうのです。もちろん手が不自由だとかそういう方には何も思いません。わたしに詰めてほしいと言われてももちろんやりますよ。それは店員と客とかそういうことじゃないですし。

でも思うのは、この「マイバッグに直に詰めてもらう」人は、むしろ合理的なつもりなのかもしれない。「どうせスキャンして移すんだから、カゴに入れるのもマイバッグに入れるのも同じでしょ?」と思っているのかもしれません。理論だけで言ったらそうなのかもしれない。禁止されるほど要求しているわけでもないし、少し店員に手間をかけて後ろに並ぶ客をほんの少し待たせるだけ。ギリギリかもしれなくても、アウトではないライン。

サービスってなんなんだろうなと思うのです。客と店員であろうと、相手は日曜の大混雑のなか延々と忙しくレジを打ってるんですよ。お金を貰ってやっていることだけど、大変だなあと思うから、少しでも手間は省いてほしい。

合理的なのも時短テクなのもいいけど、それって他人を使って行うものなのかなと思います。

拍手ぱちぱちありがとうございます!

お返事は長くなるので次の記事でさせていただきます。