夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

ずっと一緒にいるんだよ

ルックのバスタブクレンジングスプレーに助けられています。浴槽にスプレーして60秒、シャワーで洗い流せば風呂掃除はOKというやつですね。

本当にスプレーだけで擦らなくて大丈夫なのかと不安でしたが、全然平気でした。浴槽の材質とか形で違うのかもしれません、レビューでは『数回に1度は通常の掃除をしないと汚れが落ちない』等の感想をよく見るのですけど、うちは一人で使っているせいか特に問題はないかと思いました。

話題のステマか……?(´・ω・`)

何の利益もナイヨ〜

遺品整理を急いではいけない話。

ネット記事で読んだんですが、故人のことで深く悲しんでいる人がちゃんと考えられるようになるまで、周囲は遺品整理を急がせないほうがいいらしいですね。

遺族でも立場はそれぞれ、悲しみの深さもそれぞれなので、家族などがあまりに辛そうに故人の部屋を見ていたりすると、「早く片付けたほうがいいんじゃないか、見るたびに辛くなるなら、故人も片付けたほうが喜ぶと思う」と親切心で勧めることはよくあるようです。

悲しみで呆然としている人はまともに考えられないし、みんながそう言うなら……と捨ててしまい、後に気持ちが落ち着いてきた頃、故人の生きていた痕跡や愛用していた品などがもう無いということに、そこでまたさらにダメージを受けることがあるそうです。

捨ててしまったらもう戻りません。

わたしも父親に、

「業者を入れて家具も何も一気に処分して、一人暮らしに楽なような部屋に変えたら」

と何度も言われました。わたしは気が立っていたので、

「わたしは何一つ捨てる気はないよ。服一枚だって勝手なことはさせない」

と怒鳴り返していました。

もうすぐ一周忌ですから、徐々に家具の配置や中身を移動させたりはしています。でも、家具には全部買った時の思い出があり、そこに母が生きていた痕跡が残っています。

今はもういないけど、母がソファを選んだ時のこと、テーブルを買った日の会話、それらの家具が、残されたきれいに畳まれた服が、母が生きていた痕跡です。それを知らない人間が、善意からであっても、捨てるなんて勧めるべきではないと思う。取り返しがつかないから。故人の物はもう新しく増えることはないのだから、減らす時はきちんと考えて減らさなければならない。

過去を引きずるなとか、亡くなった人を悲しんでばかりいてはいけないとかよく聞きますが、それって周囲が悲しんでいる人を持て余して言っているんじゃないの、とわたしは思ってしまいます。

今までいた人が、ある日のある区切りから、声も姿も無くなる。ぱったりといなくなる。

どこに行ったの?

今どこにいるの?

いつ会えるの?

どこに電話したら出てくれるの?

もう二度と話もできない、声も聞けない、顔も見られない、本当にもう二度と会えないのだろうか。

わたしは母のことが思い出せません。

母がこの家にいたこと、母がどう過ごしていたか、母の姿を、思い出せません。もちろん、現実的にいつ亡くなってどうこうはちゃんと分かっていますが、わたしの中に母がいないのです。ずっといなかったように思える。

これもきっと、受容段階の中の一つなんでしょう。

もう使える薬がない=死を待つだけと宣告された時に、わたしは大泣きして「いやだあああ!いやだよお、なんで?なんで?なんでなの?わたし一人になっちゃうよお、一人ぼっちになっちゃうよ!いやだあああ!」とわめいたのですが、母は「違うよ。ずっと一緒にいるんだよ」と言いました。

母は本当に一緒にいるのでしょうか。

きっと一生答えは分からないのでしょう。

わたしがそう思うかどうかだけだと思います。