やり貝という幻のイキモノ
いま、「一線は越えてない」という言い回しが怒濤の勢いでメディアに流れてますが、この言葉わたしはすごく下品だと思うんですけど、どうなんですかね。なんかこう、オブラートに包んでるつもりでモロだし(これも下品ですね)な表現だと思うんですよ。少なくとも、健全な時間帯の健全なニュース番組で連呼されるような語感じゃないと思うんですが。だって、えーと、下品で露骨な言葉をあえて使いますが、「一線を越える」は「一戦」や「一発」っていうハレンチなジャンルを分かりやすく包括しているじゃないですか。なんかもうちょっと、誰もが分かるけど表面上は性的なイメージの浮かばない堅い暗喩みたいなのはなかったんでしょうかね。それともこんなことに反応するわたしこそがハレンチなのかしら?
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ハレンチ話の後で恐縮ですが拍手お返事です。
7/25の方。
>人生楽しいことばかりじゃないです。
高校生のときの日記も
友達と上手くいかないこととか、
テストがせまってる〜
今読むとなんだか懐かしい〜
〜当時から洋服好きだったなぁとか〜
♡♡♡
コメントありがとうございます(*^ω^)
そうですね〜人生って何でしょうね。
学生の頃もたくさん悩みますよね。大人とは切実さが違うけど、小さい世界だからこそ行き詰まってしまうことも多かったですね。
学生の頃は少ないお小遣いとかバイト代であちこち探して安くて可愛い服を買ってました。好きな服を着てると元気出ますよね!
その他の方もありがとうございました!
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来月すんごい検査が多くて、仕方ないですけど、疲れました。この間ちょろっと母親に「何回も手術しながら学校行って、入院のせいで単位ぎりぎりで卒業して、病歴隠して就職して、ばれたら目の前でチクチク言われて謝って、「病気を隠していて申し訳ありません」って謝って、再発すれば退職して、フルタイムが無理になったら単発で働いて、それも無理だから今は休んでるけど、次は頑張って障害者雇用を目指すぞ!っていうのがわたしの人生なのか、それがわたしのこれからの夢で希望なのか」ってつい言ってしまって(こんなこと我が子から聞きたくないと思うので)、そしたら「もう頑張らなくていいでしょ」「今まであったことを考えればもう疲れるのは当たり前」「流れにまかせて生きていけば」と言われたので、なんか少
し楽になったのでした。昼間ぼんやり横になっていたりテレビを見ていたりする時、「ああきっと、『こいつはいつになったら働くんだよ』って思ってるんだろうな」って考えてたので、その点では負担が軽くなりました。
何かしなきゃとは思いますが、もうわたしは人生で使うエネルギーを使いきってしまって、浮力で浮いてるだけみたいな状態なので、だめです。創作は好きなので後輩に書いたもの読んでもらうのが唯一、やりがいのあることかもしれない。あとはアホみたいだけど食べることですね。5キロ近く増えたし。体重が増えると人間の価値は軽くなるのが現代の日本ですね。