夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。母を亡くしました。メールフォームと拍手ボタンは休止中。ついったー→@azusa_tsubuyakiも宜しくです。

死んだらどこに行くのだろう

Twitterの方でも書きましたが、拍手コメント、メルフォ、メールを頂きありがとうございました。遡って個別にお返事したいのですが、生きてることと、通院することで精一杯でして、お礼だけでどうか勘弁して下さい。

どなたかが、『あなたの身体を考えてお母さんは早くいってしまったのかなと思う』と書いておられましたが、その通りだと思います。病気が判明して、4ヶ月でいってしまいました。その分、苦しむ時間も少なく済んだのかもしれません。最後の方にはわたしがかなり痩せてしまったので、母親に「あんた痩せたわ……すごい痩せたね」とぽつりと言われ、きっと母は自分のせいだと思っていたと思います。

わたしは自分の肉体の限界まで動いたと思います。よくあれだけ動いたなと思うし、まわりからも驚かれました。でも最中のわたしが考えていたことはただ1つで、『わたしは今、人生で働く時期なんだ』と、それだけです。だからきっと、最後までわたしは頑張れると変な確信がありました。

身バレ防止のために具体的には書けませんが、母は死の直前からいくつも偶然では説明がつかない『偶然』を起こしました。それは全部わたしを助けるためのもので、いるはずのない人がなぜか現れてわたしを助けてくれたり、とにかく人を母は集めました。それがどんどん転がって、当初の予定とはかけ離れたいい所へ、母は納まることができました。

生前、母は「お願いだから、3年でも5年でもいいから生かしてほしい」と神様にお願いをしていました(無宗教なので、日本人が漠然と言う『神様』です)。そのうち「3ヶ月でもいいから、動ける時間を下さい」になり、それから1週間ももたずにいってしまいました。直前には、「何も叶わなかったけど、最後のお願い。杏紗が幸せに生きられるように。これくらい叶えてくれるでしょう。あたしの一生一度のお願い」と言っていました。

母の寿命は延びず、わたしが幸せに生きられるかどうかはまだまだ分かりませんが、その時わたしは神なんていないと激しく憎んでいたけど、神は(くどいですが、どこのどんな神様かは想定していません)生死を覆すことはできなくても、供養もなく公営の納骨所に骨をざーっと入れるだけの予定だった母を、お寺に納められるように人を集めてくれました。葬儀はできなかったですが、四十九日の法要はきちんとやりました。お坊さんとわたしの二人でしたが。

それだけが、わたしができた親孝行です。あと1つ挙げるなら、数年前に死にかけた時に死ななかったこと。今回こうして母に死なれて、ああ逆じゃなくて良かったと、しみじみと思いました。家に遺された布団、服、靴、化粧品、メモ、本、小物、書類にはっきりと「死亡」の文字、これを親にやらせなくて良かったと思いました。