夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

卵焼きは出汁だし

本日の夕飯は、唐揚げとかコールスローサラダとか作ったんですけど、わたし料理する時は必ず録音したラジオとか聴きながら作るんですよね、だって暇じゃないですか、野菜切ったりしてる間。そしたらその最中に後ろのソファにいた母親に「料理するのも楽しいでしょ?」って言われたんですけど、うーん、楽しくはないですね。可能ならやりたくない。

別に母親がこうなったから料理を始めたわけじゃないし(果物の皮むきなら一桁の年齢からやってたし)、ただ今までは自分が食べるために作ってて、今は母親のぶんも作ってるわけなんですが、わたしにとって料理というのは単なる生活であって、別に面白くもないし、充実感とかもないんですよね。食べてもらって嬉しいとかもないし。美味しいと言われても美味しいように作ってるから当たり前なので、別に何も思うこともない。

自分で作れば自分の好きな味付けにできるので、自分が作ったものが一番美味しいと思うんですよ。だから他人の(母親であっても)料理より自分の料理のほうが美味しい。それはお茶を淹れるのも同じで、自分が淹れたのが一番美味しい。なぜならわたしの好みはわたしが一番知ってるから。

ずっとそう思っていたのですが、数年前に年下で既婚の女性が水筒に入った熱いコーヒーを飲んでて、美味しい〜って言ってたので、

「おうちでドリップしてるんですか?」

と聞いてみたら、

「インスタントだよーでも今日は旦那がいれてくれたから美味しい」

「旦那さん上手なんですね」

「んーていうか、人がいれてくれたら美味しいじゃん」

って言われて、超衝撃を受けました。

よくドラマや漫画なんかで『人がつくってくれたから美味しい』というセリフがありますけど、わたしには全然意味が分からなくて、だって他人が作るとわたしにとってはしょっぱすぎたり甘かったりべちゃべちゃしてたりしますから。コーヒーだって好きな濃さとミルクの割合があるし。

でも彼女がそう言ってニコニコ笑った時、分かったんです。

ああ、わたしは不幸なんだと。

残念ながら未だに『人が作ってくれたから美味しい』という感覚は分かりません。

今日の唐揚げも美味しかった。でも、幸せじゃない。

タイトルの卵焼きですが、母親が作るのは甘い甘い卵焼き。わたしは甘いのが嫌い。だからお互いの作った卵焼きは食べません。母親のおにぎりは、お弁当に持っていくと固くて美味しくない。二人で自然公園かなんかに行った時、わたしが弁当を作りましたが、わたしの握ったおにぎりを食べて母親は「……あんた、おにぎり握るの上手だねえ」と言ってました。でも別に嬉しくなくて、むしろなんでこういうふうに握れないんだろ、としか思えなかった。母親に習ったこともないですし、誰かに聞いたわけでもないけど、なんとなく分かるじゃないですか、美味しいおにぎりの握り方くらい。

欠陥人間なんでしょうね、わたしは。

ふとした瞬間に自分の冷たさを感じることがよくある。

いつから料理を始めたかってさっき少し書きましたが、果物の皮を一桁年齢で剥いてたのは、親が剥いてくれなかったからです。中学生の長期休みはカップ麺ばっかり食べてて、高校生になったら自分で作って食べ始めた。働き出して、実家にいたけどご飯なんて出てこないから自分で作る。お弁当も作る。

だから料理に楽しさもときめきもない、ただ、お腹が空いたから作るだけ。1日3回食べなきゃならないから作る。

昔、友人が某有名クッキングスクールに長いこと通ってて、何回か体験とか見学に行きましたけど、一緒にやってみるとどう見ても友人の方がみじん切りが遅くて汚くて驚きました。何年も通ってるのに。

なんていうのかな、そういうことだと思うんですよ。

料理は生活で、1日3回あることなんです。栄養のあるものをさっさと調理して食べるのが目的です。友人は料理が趣味だけど、毎日料理するわけじゃない。わたしは料理好きではないけど、子供の頃から食べるために包丁を使う機会が多かったわけで、もちろん我流だから間違ってることもたくさんあるでしょうけど、少なくともクッキングスクールの友人よりは基本動作が早いわけです。

なんていうのかな、わたしにとって料理は、ゆっくり楽しく美しく盛り付けてとかじゃなくて、さっさと片付けたいものなんです。もっとしたいことがあるから。

わたしは食べることが好きですけど、それはお菓子とかジャンクフードで、『食事』は別に好きじゃない。

何が言いたいかっていうと、もう食事の支度めんどくさあああああああ、ということです。