買うことは生きること
まずは母親の話から。
あれからさらに大きい病院に転院して、病名は判明しました。
ですがここは闘病ブログでもないし、いくら匿名でも母という別の人間のことですから、わたしにその権利はないと思うので、以降、詳細は書きません。ただまあ、これからブログなりツイッターに日常を投稿していけば推測できてしまうとは思いますが、察して下さい。わたし自身のことについては変わらず書いていきたいと思います。
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そんなわけで、スーパーで一人で買い物することが増えましたが、なんかやたら話しかけられますね。真剣に食品見てると話しかけられることが多いです。
昨日もブドウをどのパックにしようか選んでたら、突然「美味しかったですよ、それ」って背後から言われてビクゥ!!ってしました。この人は店員さんだったんですけど。わたし専門的なこととか聞くの大好きなので、ブドウについて質問しまくって試食させてもらって、悩んで決断してカゴに入れました。微笑みを交わして別れました。
とある野菜の皮を剥いていたら、やってきたおばあさんに「これどうやって食べるん?湯がくの?」(方言の再現がおかしかったらすいません)って聞かれて、茹で方だの季節の栄養だのを話し合い、野菜を入れるビニール袋を渡してサヨナラしました。
日常のものは近場で済ませますが、遠めの大きなショッピングセンターには買い出しツアーのように突撃するので、先日は果物だの野菜だのの特売を買って、1リットル野菜ジュースだの、母のハマってる350ml缶ジュースを6缶だの、お菓子だの、ケータイで希望を聞きながらスリッパを買いつつ、ドラッグストアで台所洗剤の詰替え大ボトルに、また電話しながらクイックルワイパーを選んで買って帰ってきました。最終的に何kg持ってたか分かりゃしない。ご存じの通り車がないので、不便で仕方ないです。
それにしてもクイックルワイパーって便利ですねえ。床を雑巾がけするの疲れますもんねえ。特に階段。クイックルワイパーなら立ったままできるんですもん、もっと早く買えばよかった。
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答えを求めていない打ち明け話や気持ちの吐露に、もうとっくに考えたけど選ばなかった選択肢や、さんざん理解している前提を説かれると、この状況でそんなんすでに考えつかない人いる?と思ってしまう。そんなこともう気づいてるよ、でもそれはわたしの救いにはならなかったから、今苦しいってあなたに助けを求めたんだよって腹が立つ。
親切でしてくれる話は聞くべきだと思う。参考にせず実行できなくて申し訳ありませんとは思う。
わたしが言ってほしいことは、わたしにしか分からないのは当たり前で、それを他人にエスパーしてくれと求めるのは間違いだって分かってる。
たまに堪えきれず泣き言をいって、いつも後悔する。
誰かに助けてもらいたい瞬間をこらえて、静かに在りたい、わめきちらすような、みっともないことはしたくない。だけど甘ちゃんだから、誰か助けてって気持ちを捨てられない。
……でも反省しましたね、こういうことになって、ああわたしもあの時あの人に言ったこと、どんなに鬱陶しくて腹が立っただろうなって思い出します。
人が人に言える、耳に新しくて救われることなんか早々あるはずない。
今回の件で一人だけ、後輩はそういう類のことを一切言いませんでした。本当に良い子だなと思いました。医師を含めても片手に足りる人数にしか話してませんけど、みんな言いますね、観念的なことを。