夜中のひと匙

日々、思いついたことを誰かに話したいブログ。難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。放射線治療経験済み。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。拍手ボタン(PC版のみ)でもコメントできます。ついったー→@azusa_tsubuyaki

Everything had doneの英語力最低

先日、診察室で泣いてしまったんですけど、あの人前で激しく泣いた時の、途中でふっと「あ、もういいです」みたいに冷める瞬間て何なんでしょうね。かといっていきなり真顔で「すいませんもう泣いて慰めてのやりとりいいです」って言うのもなあ、とか思いながら、うつむいて考えている。どうやってこの場を切り上げようかなと。

一昨日は難病の通院に行ったんですけど、もう帰宅してから具合悪くて悪くて、どうにもならないですね。ご飯もムリ。明けて翌朝、カフェオレ飲んで薬飲んでまた病院に出発。お昼食べずメロンソーダ飲み飲み。

わたしは人生を怠けたのかなあと最近思う。

例えばボロボロのアパートに住んでいる人と(気分を害した方がいたらごめんなさい、でもわたしが住んでるのもそういうところです)、高層マンションに住んでいる人といるじゃないですか。その違いは何かなって考えるんです。

資本主義社会の貧富の差、というのは当たり前で、じゃあ現在貧乏になった人が貧乏になったのは、怠けていたからなのかなと、つまりわたしは怠けていたのかなと、だったらどこのタイミングで怠けたのかなあと考えて、遡っていくと、例えばわたしが入院手術を理由に会社を辞めなかったら、鬱で試用期間でクビにならなかったら、もっと頑張ってイビリに耐えていたら、鬱をうまくごまかして普通の人を装えていたら、今も正社員だったかもしれない。さらに遡っていくと、誰か高校生のわたしに、食べていける資格を取ることを薦めてくれる大人がいたらよかった。

「働いてお給料を貰い、そのお金で自分を自分で養って生きていく」ということを、恥ずかしながら学生のわたしは全然考えていませんでした。

言い訳としては、何度も起こる病気や入院で頭が(気持ちが)いっぱいいっぱいだった、両親の揉め事とそれぞれのメンタルのおかしさにやられて、進路とか志望校とか考える暇がなかった。特に高3の後半はめちゃくちゃで休むか保健室ばっかりだったし。

でもこういう人こそ食いっぱぐれない資格をとるべきだった。病気が再発して入院するとしても、そこで退職じゃなく休ませてくれて復職できる職場に勤められる資格、職場でいじめ等に遭っても次に転職しやすい資格を取るべきだった。

全てがもう遅すぎて、どうにもならないのですけど。

前の主治医に「休職させてもらいなさい」って何度も言われたけど、有給休暇があるのかも分からない職場で、休職なんて言えるわけない。前任者は結婚で退職してるし。

改革とか何か言ってるけど、三角形の下の方なんてこんなものじゃないですかね。

ネットの海外記事で読んだんですけど、救急救命士やってる人が、運ばれてきてどうやっても助からない患者に「私は死ぬの?」って必ず聞かれるけど、最初のうちは大丈夫ですよって答えてて、でもある時から考えを変えて、死ぬって伝えるようにしたら、患者の目には逆に安堵が見えたって書いていて、患者は死ぬ時に自分の人生には意味があったと思いたい、誰かに覚えていてほしい、許されたい(他にもあったと思うけど)という心の動きがあるそうです。

確かにわたしも死にかけた時に「わたしは大丈夫ですか?」「わたし死なない?」って聞いた記憶があって、看護師は手を握るだけで無言、ICUの医者は「死なない!」って言った。

誰かに覚えていてほしい、っていうのとは少し違うのかもしれないけど、前にも書いた通りやっぱり子供がいて孫がいて、死後も自分の一部がこの世に変わらず生き続けるとしたら、きっと少し安心できると思う。わたしがこの世界から消えても、完全にここからさよならするんじゃなくて、わたしの一部は別の身体の中でこの世界を生き続けているんだって思えれば、この世界から切り離される感じが薄まるかもしれないから。

許されたいっていうのは宗教的な感覚なんでしょうかね。それはわたしには分からなかったです。

「自分が病気であることが、自分で理解できない」という話を何度もしているのですが、先日主治医から「杏紗さん、そんな何回も手術して死にかけたことのある人なんて、全人類で考えて1%もいないよ」と言われました。

わたしの中の感覚では、全人類が未成年で発病、手術、投薬をくり返して生きているはずなんです。放射線治療も。だって病院に行かない生活なんて想像できないし、薬も注射もしなくて生きられるなんてあるわけない。あるわけない。誰も自分の人生しか生きたことはないから、それ以外の日常があるなんて分からない。

主治医の言うことが正しいのは分かってるんです、ただ、それは正しいということを知っているだけで、実感がない。

「わかんない」。

この一言に尽きます。

わかんないけど、通院はするし、服薬もする。

もう分かんないです、いろいろなことが。「あたし身体弱いから」って知り合った人に言われる時に、「わかんない」って脳が停止する。

いつも、誰にどこまで話していいのか無意識に計算している。わたしの病気に関する情報をどこまで誰に話してもいいのか。目の前のこの人にはどうしよう。偏見の目に晒されないように、今後の付き合いに支障のないように、交際範囲の中で矛盾が生じないように。

だから寄ってきた男の人とにこにこして話しながら、「この人、わたしが明日から精神科に入院するって知ったら態度変わるんだろうな」って考えている。

例のお見合いの時も考えたんですけど、わたしの抱えるマイナス点を、どの段階でどれだけ公開することがフェアなのかと考え始めると、もし相手が結婚相手を探しているなら早い段階で全て言うべきだと思うし、そんなつもりもないなら様子見でいればいいのだとは思う。

難病、手術歴、通院については言いやすい。というか、無職の理由を聞かれたら普段からこれを言うことにしている。問題は精神科の方です。あとは片親であること。超絶貧乏なこと。職歴が酷いこと。

まあ、結婚なんて高望みなことはいいです。あれは選ばれし民だけに起きるイベントです。

でもこの世のどこかに、いつかわたしと一緒にいてくれる人が、今この瞬間「定時で帰りたいなあ」とか言いながら生きていたらいいなとは思う。夢を見るのはタダだから。