夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

生存率とインテリア

あーもう朝から家事で疲れた_(┐「ε:)_プンスカ

誰の母でも妻でもないわけで、毎日毎日、朝から晩まで自分の時間もなく働かされるとうんざりしますね。

「今までそれをお前の母親がやってたんだろ」と反論されるかもしれませんが、今までは母の労力+わたしの労力(分担は少ない)で処理していたものが、母の労力というものがほぼ0になり、【母の分を背負う】というコマンドが出てきたのですよ。

以前はスーパーに買い出しに行くと、荷物は母が1つ、わたしがリュック+1つの分担だったのが、現在はわたしがリュック(7kg程度)+左右(それぞれ3kg程度)で歩いて階段を上って帰らなきゃならない。その後ろを手ぶらで母が付いてくる。歩くだけでしんどいですからね。

家事にしても、以前は洗濯物を干すとか食器を洗うとかお風呂を洗うとか、わたしがやっていた分は母はやらずに済んでいたけれど、今はわたしが自分の分+母のやっていた分=100%になってしまって、なんだかんだでもう、なんですかね、何のために自分の時間を削って具合悪いなかをフラフラしながら窓を拭いてるんだろう、窓なんか汚れてても、その時間お茶が飲めるほうがよくない?とか思いながらやっているわけです。

わたしはインテリアとか心底どうでもよい人間なので、毎日の掃除(もともと最低限はしてましたよ)とか片付けをする時間を読書とか自分のやりたいことに使いたいのです。インテリアだとかおしゃれがどうとかこうとかどうでもいいから、動きやすくて物が邪魔にならなくて、安全で使いやすいならいいじゃんと思う。

見た目を重視したインテリアのせいで、現在食卓の母の椅子からはテレビが見えません。そこに長いのれんを垂らしているから。わたしこういうのバカじゃないかと思うんですよ。おしゃれのために痛い靴を履いて外反母趾になってるみたいな。そこにのれんを垂らして得られる満足感と、食事中にニュースが見えない不便さと、どっちが大きいと聞かれたらわたしは絶対にニュースが見えない方を取りますが、母はのれんの満足感を取るということですよね。ああ、分からない。

以前ソファを置いていた位置は、そこに座るとテレビが見えない角度になっていました。いやまあ、テレビが全てじゃないし、わたしだって四六時中テレビテレビ言ってるわけじゃないですけど、その配置は間違ってると思うんですよ。もう目的を見失ってる。

なんかこういうチグハグさって、アーティストと暮らしてる一般人の苦労に共通しそうだと思うんですがどうですかね。腹を立ててもしょうがないから、この頃では母をアーティストだと思うことにしました。ロケンロール的な。自由な人なんだと。

地震発生の瞬間から夜明けまで、わたしは自宅(停電断水、物が床に散乱)に、母は病院に入院中だったわけですが、落ち着いてきたここ数日で防災用品を買ったり片付けたりしていると、やっぱりあの瞬間に独りで真っ暗な家にいた者と、耐震構造になっていて大勢の人と医療スタッフがいて電気がついて水が出る病院にいた者では感覚が違うなとつくづく思い知らされました。

母はあの真の暗闇を体験していないし、この家がどんなふうにぐちゃぐちゃだったかも見てないんですよ。帰宅したのは朝だったし、それまでにわたしがあらかた片付けましたから。

あれから防災用品(ランタン、給水ボトルなど)を買ってきましたが、彼女はそれをダンボール箱に入れて、2メートルある食器棚の上に載せようとしました。

そんなの、どうやって取るんですか?

ランタンをソファと棚のわずかな隙間にぶら下げておこうとしたり。

停電して、スマホの光はあったとしても、そこにたどり着けるかどうか。少なくとも、椅子に乗らなきゃ届かない箱は取れない。揺れで落ちることも考えられる。

「じゃあ窓に近い棚にランタンをぶら下げよう、外からの明かりで見えるから探せる」

外灯は消えますよ。月明かりなんてあてにしてはいけない。本当に暗いです。前も後ろも全部暗くて、圧迫感が凄いんです。地下室に閉じ込められてるようなものです。

そんなようなことを言ったら、母は

「そんな暗闇がいつ来るって言うのよ」

と鼻で笑ってましたが、ついこの間きたんですけどね。

防災用品だって懐中電灯だって、すぐ取り出せて安全な場所に置いておきたい。ランタンはあそこに飾って、電池はここで、懐中電灯はああしてとか、いざという時に全部の位置を思い出せるのか。

生きるということ、安全で安心できるということ、その先におしゃれとか趣味があるんじゃないかと思います。人間は生き物ですから、おしゃれな家具と布に押し潰されて死ぬのはわたしは愚かだと思う。

メールフォームお返事

09月19日

(絵文字)さま

 

 

>わざわざメルフォ設置までして頂き〜

〜全文表示はされていたのですが、また途切れてしまった〜

2通目でお伝えしたかったのは「何で杏紗さんばかりこんなに〜

後輩の方やお父様からの〜

 

こちらを確認された後、前回の記事は削除して貰えれば〜

何度もすみませんでした本当に!

送信確認に出てるのに送信されないとは……何かバグってるんでしょうか(>_<)

コメント頂くと嬉しいので、なんとか拍手の代わりになりそうなメールフォームを見つけましたので、これからもよろしくお願いします!

>「何で杏紗さんばかりこんなに立て続けに苦労〜

有り難いです、そういうふうに言って頂けると、わたしもなんというか、薄々感じているけどリアルで誰かに確認するわけにもいかない『わたしの人生おかしくない?』っていう問いに、「おかしい!」と即答してくれたみたいで慰められます。

高校生の時に担任の先生と話し合っていて(その当時から病気と諸々で大変だったので)、わたしが「なんでこんなことばっかり起こるんだろう。前世で何かしたのかな」と言うと、「バカなこと言うんじゃない。そんなのお前だって信じてるわけじゃないだろ」と諌められたんですが、いや〜もう前世とか業とか人生は悟るための何とかでとか、そういう次元にいかないと納得できないですよ。

だからもうずっと、『1年後の自分』というものに自信が持てないんですよね。絶対何か起きるから、1年後の自分に何か負わせる(例えば期間限定ではない仕事を受けるとか、旅行の約束をするとか)ことができない。怖い。

分かりやすく1年後と書きましたが、実際の感覚では半月くらいですかね、半月先の約束はできないですね……

>後輩の方やお父様からの〜

大丈夫です、ここは受信できてます!

すみません、色々とありがとうございます。

記事の削除ですが、一部削除という形で残しました。

お手数おかけしました!

_(_^_)_

メールフォーム設置しました

サイドバーにメールフォームを設置しました。

たぶん大丈夫なはずなので、どうぞご利用下さいませ。

お返事はWEB拍手と同じように、メッセージを引用しながらブログの記事内でさせて頂きます(メッセージにアドレスが記載されていれば、そちらにお返事させて頂きます)。

このメールフォームも、コメント通知でわたしのスマホが鳴ったりはしませんので、24時間いつでもお待ちしております_(_^_)_

拍手お返事です

もしかしてまた途切れてるのかな?と思っています^^;あああああ〜すみません本当に!

 【一部削除しました】

 

何度もトラブっていて申し訳ないです。ググってもよく分からなかったので、WEB拍手をやめてメールフォームにしようか迷っています。

匿名というか、アドレスとアドレスでやり取りするより、フォームで送信、の方が気軽にコメントして頂けるかな〜と思ってます……

再度送信して頂いてありがとうございました!

もうWEB拍手というものが化石なんですかね。まだメンテとかされてるのかな?

メールフォームもいっぱいありすぎ&時代についていけてないのでどこのがいいのかまだよく分からないのですが、コメント本文が見えてもOKであれば、ブログのコメント欄に書いて頂くのが今は1番確実かと思います……あああああ〜

拍手お返事です

9/6の方。

 

>杏紗さんはご自分を冷たいと仰りますが、嘘がないという感じで〜

以前どなたかの呟きで下記のようなメモがあり〜(略)

コメントありがとうございます!

嘘がない、そうありたいとは思っています。

なんていうか、自分をよく見せるための嘘って嫌いなんですよね。

謙遜は必要だと思うんですけど、わきまえているということと、計算することは違うと思いますから。

昔から言ってたんですけど、もし自分が美少女だったとして、「えっそんなことないよー全然だよ!○○のが可愛いって!」って言うより、「まあね、あたし可愛いから」って言いたいわと。

まあ特に美少女でもなかったので、言う機会は無かったですけど……

引用して頂いたのは、いわゆる二人でいる方が孤独、というやつですね。

でもせっかくそんな世界の果てみたいな砂漠にいるんだから、わたしなら星を見るけどなあとも思ったので、ちょっと考えたのですが、その女性は男性といることだけが目的で、ここが砂漠だとか星だとかはどうでもいいのかなと。それって女性に特徴的な感性ですよね。

わたしが思うに、まず自分というものがあって、自分が感じることや考えることがあって、そして隣に他人がいる、という順序じゃないと、常に他人という思い通りにならない存在に揺さぶられて苦しいですよね。

でもまあ、恋ですから、そんな理性もぶっとんでることは分かってますが……

その男性は女性の動向によって自分の意志の揺れが起きることはないわけで、そこに孤独を感じるならしょうがないですね。

なんてことを暗闇の中で考えておりました。

続く↓

9/13

 

>先日拍手を送ったのですが〜被災された当日の晩に〜

北海道とは夢にも〜「あのタイミングで…」となり

【一部削除しました】

 

ともかく、いえいえ別に、空気読めよとか思ったりしないですよ笑

居住地は書いてないですし、そもそも被災中に本当にやばかったら拍手を確認しないですから(拍手が来ても通知がきたりはしません)。

なんていうか、むしろいつもどおりに世の中が動いていてくれることが、安心につながるんだと今回のことで学びました。

だから被災中にネット巡回して、拍手にコメントがあるのを見て嬉しかったですし、その時は目の前のしんどいことも忘れていつもの自分でいられますしね。

なので全然、お気になさらず!むしろ気を遣わせてしまって申し訳ないです。

その他の方もパチパチありがとうございました!

電気を発明してくれてありがとう。独りっきりの地震体験記1

前提条件:母は治療のため入院中であり、わたしは自宅に一人でした。我が家は戸建てではなく5階程度の高さにあります。

***

地震が起きた瞬間、わたしはベッドで眠っていました。

いつ目が覚めたのかも分からないまま、ものすごい勢いで揺さぶられ、地震だと理解はしたものの、ベッドにうつ伏せになって丸まっていることしかできませんでした。この揺れを例えるなら、公園に馬とかの形をしたバネで固定されている、またがると前後にぐいぐい揺れる遊具がありますよね、あれに寝転んで乗っている感じです。

窓は開いていましたが、物が落ちる音とか、何かが割れる音とか、他の住人の声は聞こえませんでした。

揺れが収まったので、スマホだけを持って恐る恐る居間へ向かいました。この時はまだ電気が通じていたので、廊下の照明をつけることができました。洗面所の前やトイレの前を通りましたが、廊下には何も異常はないように思いました。

……なぜか、居間から明かりが漏れていました。

消し忘れたはずはないのに、居間にはちゃんと明かりがついていて、もちろん誰もいないのです。このあたりの解釈はお任せするとして、明るかったおかげでまず、廊下との境に置いてあった背の高い姿見が倒れているのが見えました。

地震には何度も遭っていますが、ここまではっきりとものが倒れるのは初めてだったのと、まだわたしのなかでは「あー怖かったーテレビ見よ」程度の認識だったので、目を上げて、オーブントースターが床に転がって黒い煤が散乱し、冷蔵庫は前にのめり出ているし、天井から吊るしていたカフェカーテンは棒ごと落ちて、左を見れば扇風機が転がり、テレビ台も前に突っ込むように出ていて、その隣に神社の御札やお神酒をあげていたのですが、三枚の御札は落ち、母の病気平癒のお祓いで頂いてきた木のお札も落ち、一緒に頂いた瓶のお神酒も、割れてはいませんでしたが床に転がっていました。(たまたまなのでしょうが、その時一緒に厄払いを受けたわたしが頂いた御札と瓶のお神酒はそのまま残っていました)

観賞用の小さな鉢も2つ、それぞれの場所で落ちて土をばらまいています。

わたしは急いでテレビをつけました。もう「あー怖かった」どころの話ではないと悟ったので、すぐに寝間着を着替えて靴下を履きました。帽子もかぶりました。服用している薬がたくさんあるので、壁に貼ってあるお薬カレンダーを剥がして丸め、紙袋に入っている残りの薬も全部ビニール袋に入れて、リュックに突っ込みました。買い置きしていた2リットル×6本のミネラルウォーターの箱をばりばり破って、1本をリュックに入れ、大きめのタオルハンカチを入れ、腕時計をしました。

ニュースは信じられない震度を伝えていて、わたしはこのあたりですでに息が荒くなり、手足は冷たくガクガクし、身体から力が抜けて倒れそうでした。

とにかく逃げる準備はできたし、様子を見ていよう、とテレビの前に座った時でした。

バン、とすべての光が消えました。

テレビの白い光も、蛍光灯も、何もかもが消えて、一瞬、理解できませんでした。

そしてそれが地震による停電なのだと気づいた時、外からの街灯の明かりもなく、住宅の共用廊下の蛍光灯もない、本当の暗闇になった時に、無意識にスマホを見ました。充電は30%台でした。

普段は寝る前にかならず充電するのですが、昨夜は稲光がすごくて、フラッシュのようにバシバシと空が光るので、落雷してショートしたら困ると思って充電していなかったのです。

ガクガクしながら懐中電灯をとりに走りました。床には鉢植えだの姿見だのが倒れているので、スマホの画面で照らしながら進みました。

大きな懐中電灯が廊下にあるのを見つけて、スイッチを入れた時の心強さ。それから自分の部屋に戻ってモバイルバッテリー、音楽再生に使っている昔のiPhone、ポケットWi-Fi、電池式のラジオレコーダーを持って居間に戻りました。この間もひっきりなしにスマホから地震速報のアラームが鳴ります。「あと5秒後に震度3がきます」とか言われて、わたしはどうしたらいいんですか?逃げる?机の下に潜る?誰も教えてくれない!

ガクガクしながら帽子を押さえて、家中で一番、物のないところでうずくまります。うわんうわんと揺れる。

一時、静寂。

わたしの持っているモバイルバッテリーはアンカーの大容量で、スマホなら4回フル充電できるタイプです。

とにかくスマホ!わたしはケーブルを挿してみました。

……本来は4つ光るランプが、1つしか光らない。

これも充電を怠っていたようです。

でもネットだけなら、iPhoneとポケットWi-Fiを繋げばできる。幸いにiPhoneの充電は70%くらい残っている。

ポケットWi-Fi、起動。

起動、しない。

充電が切れてる……

ふっと顔を上げると暗闇。

懐中電灯の細い白い光だけ。

外に逃げても、どこに行っても、この世界は真っ暗で、この暗さから逃げることはできないんだと気づいた時、わたしは頭がおかしくなりそうでした。

でも人間ってちゃんと機能するというか、わたしはメンタルが弱いわりに危機的状況には強いという、わけのわからないタイプなんですけど、とにかく怪我をしないように裾の長いジーパン、半袖の上には長袖パーカーを着て、リュックを手元に起き、軍手をポケットに入れて、家の中で一番安全と思われる場所に座椅子を置いて、足元に懐中電灯を置き、窓を開けて外の声を聞きながら、ラジオを聞いていました。

スマホは全然充電されません。もちろん立ち上がってたアプリは全て消して、画面の照明は最低にし、節電モード。それでもなかなか充電の%が上がらない。

今、一番怖いのはこのラジオが消えること。充電池だし、これは数日前にチャージした記憶があるから大丈夫だと思うけど、ここから聴こえるアナウンサーの声が消えて、この暗闇に取り残されたら、取り残されたらどうしよう……

ラジオの音量を最低限に絞って、座椅子に深く腰掛けて、目をつむってみる。

数分は持ちこたえるけど、また恐怖に襲われます。その繰り返し。

倒壊したらどうしよう。

戸建てじゃないから、いざという時に窓から逃げることができない。というより、倒壊したら死ぬ。

でも外に出たら安全なんだろうか。

こんな真っ暗で?

地割れに落ちたりしないの?

今、何をするのが正しいの?

わたしの判断は間違ってない?

多分、わたしと同じように被災された方でも、家族が一緒だったら全然違うんじゃないかと思います。

誰かいれば相談できるし、喋ることができますよね。喋ってれば結構メンタル的には大丈夫なんじゃないかと思うんです。

と、思っていると固定電話が鳴りました。

そういえば停電中であってもつながるんですよね。ありがとうインフラ。もちろんディスプレイは消えますけども。

出ると入院中の母からでした。

結局ケータイを持つのを嫌がったので、院内の公衆電話からかけてきたようです。

「おかあさあんなんたらもかんたらも倒れて停電して真っ暗でめちゃくちゃでどうたら」

と言うと、母はそこまで予想していなかったようで、唖然としているのが伝わってきましたが、

「とにかく許可が取れ次第帰るわ」

と言って切りました。

この時点でまだ四時くらいだったと思います。

夜明けは5時過ぎですかね。

あと1時間真っ暗闇の刑。いくら本人が帰るったって、大混乱ですから、そんな三十分や1時間で帰ってくるわけがないですし、日の出まで、がんばれ!\(^o^)/ わたし!

頑張れるわけがなかったので、それでも三十分くらいこらえましたが、固定電話から電話しました。

相手は東京の父親のケータイです。

十回くらい呼び出している。

なんていうか、ああ、東京じゃみんな眠ってるんだよなあとしみじみ思いました。

父親は出てくれまして、日の出までなんたらかんたらと話しました。 何を話したかは覚えてない。ごめん。

入れ替わりのように母親から電話が来て、「『帰ってもいいけど、道中の保証はできませんよ』っていうのよ」とのこと。

続く(更新に時間かかると思います)

卵焼きは出汁だし

本日の夕飯は、唐揚げとかコールスローサラダとか作ったんですけど、わたし料理する時は必ず録音したラジオとか聴きながら作るんですよね、だって暇じゃないですか、野菜切ったりしてる間。そしたらその最中に後ろのソファにいた母親に「料理するのも楽しいでしょ?」って言われたんですけど、うーん、楽しくはないですね。可能ならやりたくない。

別に母親がこうなったから料理を始めたわけじゃないし(果物の皮むきなら一桁の年齢からやってたし)、ただ今までは自分が食べるために作ってて、今は母親のぶんも作ってるわけなんですが、わたしにとって料理というのは単なる生活であって、別に面白くもないし、充実感とかもないんですよね。食べてもらって嬉しいとかもないし。美味しいと言われても美味しいように作ってるから当たり前なので、別に何も思うこともない。

自分で作れば自分の好きな味付けにできるので、自分が作ったものが一番美味しいと思うんですよ。だから他人の(母親であっても)料理より自分の料理のほうが美味しい。それはお茶を淹れるのも同じで、自分が淹れたのが一番美味しい。なぜならわたしの好みはわたしが一番知ってるから。

ずっとそう思っていたのですが、数年前に年下で既婚の女性が水筒に入った熱いコーヒーを飲んでて、美味しい〜って言ってたので、

「おうちでドリップしてるんですか?」

と聞いてみたら、

「インスタントだよーでも今日は旦那がいれてくれたから美味しい」

「旦那さん上手なんですね」

「んーていうか、人がいれてくれたら美味しいじゃん」

って言われて、超衝撃を受けました。

よくドラマや漫画なんかで『人がつくってくれたから美味しい』というセリフがありますけど、わたしには全然意味が分からなくて、だって他人が作るとわたしにとってはしょっぱすぎたり甘かったりべちゃべちゃしてたりしますから。コーヒーだって好きな濃さとミルクの割合があるし。

でも彼女がそう言ってニコニコ笑った時、分かったんです。

ああ、わたしは不幸なんだと。

残念ながら未だに『人が作ってくれたから美味しい』という感覚は分かりません。

今日の唐揚げも美味しかった。でも、幸せじゃない。

タイトルの卵焼きですが、母親が作るのは甘い甘い卵焼き。わたしは甘いのが嫌い。だからお互いの作った卵焼きは食べません。母親のおにぎりは、お弁当に持っていくと固くて美味しくない。二人で自然公園かなんかに行った時、わたしが弁当を作りましたが、わたしの握ったおにぎりを食べて母親は「……あんた、おにぎり握るの上手だねえ」と言ってました。でも別に嬉しくなくて、むしろなんでこういうふうに握れないんだろ、としか思えなかった。母親に習ったこともないですし、誰かに聞いたわけでもないけど、なんとなく分かるじゃないですか、美味しいおにぎりの握り方くらい。

欠陥人間なんでしょうね、わたしは。

ふとした瞬間に自分の冷たさを感じることがよくある。

いつから料理を始めたかってさっき少し書きましたが、果物の皮を一桁年齢で剥いてたのは、親が剥いてくれなかったからです。中学生の長期休みはカップ麺ばっかり食べてて、高校生になったら自分で作って食べ始めた。働き出して、実家にいたけどご飯なんて出てこないから自分で作る。お弁当も作る。

だから料理に楽しさもときめきもない、ただ、お腹が空いたから作るだけ。1日3回食べなきゃならないから作る。

昔、友人が某有名クッキングスクールに長いこと通ってて、何回か体験とか見学に行きましたけど、一緒にやってみるとどう見ても友人の方がみじん切りが遅くて汚くて驚きました。何年も通ってるのに。

なんていうのかな、そういうことだと思うんですよ。

料理は生活で、1日3回あることなんです。栄養のあるものをさっさと調理して食べるのが目的です。友人は料理が趣味だけど、毎日料理するわけじゃない。わたしは料理好きではないけど、子供の頃から食べるために包丁を使う機会が多かったわけで、もちろん我流だから間違ってることもたくさんあるでしょうけど、少なくともクッキングスクールの友人よりは基本動作が早いわけです。

なんていうのかな、わたしにとって料理は、ゆっくり楽しく美しく盛り付けてとかじゃなくて、さっさと片付けたいものなんです。もっとしたいことがあるから。

わたしは食べることが好きですけど、それはお菓子とかジャンクフードで、『食事』は別に好きじゃない。

何が言いたいかっていうと、もう食事の支度めんどくさあああああああ、ということです。