夜中のひと匙

難病と双極性障害Ⅰ型のアラサー。死にかけてICUに収容されるも、しぶとく生き残る。30代で母を亡くし独りになる。拍手を暫定復活しました。お返事できるとは限りません、ご了承ください。

拍手お返事です

もしかしてまた途切れてるのかな?と思っています^^;あああああ〜すみません本当に!

 【一部削除しました】

 

何度もトラブっていて申し訳ないです。ググってもよく分からなかったので、WEB拍手をやめてメールフォームにしようか迷っています。

匿名というか、アドレスとアドレスでやり取りするより、フォームで送信、の方が気軽にコメントして頂けるかな〜と思ってます……

再度送信して頂いてありがとうございました!

もうWEB拍手というものが化石なんですかね。まだメンテとかされてるのかな?

メールフォームもいっぱいありすぎ&時代についていけてないのでどこのがいいのかまだよく分からないのですが、コメント本文が見えてもOKであれば、ブログのコメント欄に書いて頂くのが今は1番確実かと思います……あああああ〜

拍手お返事です

9/6の方。

 

>杏紗さんはご自分を冷たいと仰りますが、嘘がないという感じで〜

以前どなたかの呟きで下記のようなメモがあり〜(略)

コメントありがとうございます!

嘘がない、そうありたいとは思っています。

なんていうか、自分をよく見せるための嘘って嫌いなんですよね。

謙遜は必要だと思うんですけど、わきまえているということと、計算することは違うと思いますから。

昔から言ってたんですけど、もし自分が美少女だったとして、「えっそんなことないよー全然だよ!○○のが可愛いって!」って言うより、「まあね、あたし可愛いから」って言いたいわと。

まあ特に美少女でもなかったので、言う機会は無かったですけど……

引用して頂いたのは、いわゆる二人でいる方が孤独、というやつですね。

でもせっかくそんな世界の果てみたいな砂漠にいるんだから、わたしなら星を見るけどなあとも思ったので、ちょっと考えたのですが、その女性は男性といることだけが目的で、ここが砂漠だとか星だとかはどうでもいいのかなと。それって女性に特徴的な感性ですよね。

わたしが思うに、まず自分というものがあって、自分が感じることや考えることがあって、そして隣に他人がいる、という順序じゃないと、常に他人という思い通りにならない存在に揺さぶられて苦しいですよね。

でもまあ、恋ですから、そんな理性もぶっとんでることは分かってますが……

その男性は女性の動向によって自分の意志の揺れが起きることはないわけで、そこに孤独を感じるならしょうがないですね。

なんてことを暗闇の中で考えておりました。

続く↓

9/13

 

>先日拍手を送ったのですが〜被災された当日の晩に〜

北海道とは夢にも〜「あのタイミングで…」となり

【一部削除しました】

 

ともかく、いえいえ別に、空気読めよとか思ったりしないですよ笑

居住地は書いてないですし、そもそも被災中に本当にやばかったら拍手を確認しないですから(拍手が来ても通知がきたりはしません)。

なんていうか、むしろいつもどおりに世の中が動いていてくれることが、安心につながるんだと今回のことで学びました。

だから被災中にネット巡回して、拍手にコメントがあるのを見て嬉しかったですし、その時は目の前のしんどいことも忘れていつもの自分でいられますしね。

なので全然、お気になさらず!むしろ気を遣わせてしまって申し訳ないです。

その他の方もパチパチありがとうございました!

電気を発明してくれてありがとう。独りっきりの地震体験記1

前提条件:母は治療のため入院中であり、わたしは自宅に一人でした。我が家は戸建てではなく5階程度の高さにあります。

***

地震が起きた瞬間、わたしはベッドで眠っていました。

いつ目が覚めたのかも分からないまま、ものすごい勢いで揺さぶられ、地震だと理解はしたものの、ベッドにうつ伏せになって丸まっていることしかできませんでした。この揺れを例えるなら、公園に馬とかの形をしたバネで固定されている、またがると前後にぐいぐい揺れる遊具がありますよね、あれに寝転んで乗っている感じです。

窓は開いていましたが、物が落ちる音とか、何かが割れる音とか、他の住人の声は聞こえませんでした。

揺れが収まったので、スマホだけを持って恐る恐る居間へ向かいました。この時はまだ電気が通じていたので、廊下の照明をつけることができました。洗面所の前やトイレの前を通りましたが、廊下には何も異常はないように思いました。

……なぜか、居間から明かりが漏れていました。

消し忘れたはずはないのに、居間にはちゃんと明かりがついていて、もちろん誰もいないのです。このあたりの解釈はお任せするとして、明るかったおかげでまず、廊下との境に置いてあった背の高い姿見が倒れているのが見えました。

地震には何度も遭っていますが、ここまではっきりとものが倒れるのは初めてだったのと、まだわたしのなかでは「あー怖かったーテレビ見よ」程度の認識だったので、目を上げて、オーブントースターが床に転がって黒い煤が散乱し、冷蔵庫は前にのめり出ているし、天井から吊るしていたカフェカーテンは棒ごと落ちて、左を見れば扇風機が転がり、テレビ台も前に突っ込むように出ていて、その隣に神社の御札やお神酒をあげていたのですが、三枚の御札は落ち、母の病気平癒のお祓いで頂いてきた木のお札も落ち、一緒に頂いた瓶のお神酒も、割れてはいませんでしたが床に転がっていました。(たまたまなのでしょうが、その時一緒に厄払いを受けたわたしが頂いた御札と瓶のお神酒はそのまま残っていました)

観賞用の小さな鉢も2つ、それぞれの場所で落ちて土をばらまいています。

わたしは急いでテレビをつけました。もう「あー怖かった」どころの話ではないと悟ったので、すぐに寝間着を着替えて靴下を履きました。帽子もかぶりました。服用している薬がたくさんあるので、壁に貼ってあるお薬カレンダーを剥がして丸め、紙袋に入っている残りの薬も全部ビニール袋に入れて、リュックに突っ込みました。買い置きしていた2リットル×6本のミネラルウォーターの箱をばりばり破って、1本をリュックに入れ、大きめのタオルハンカチを入れ、腕時計をしました。

ニュースは信じられない震度を伝えていて、わたしはこのあたりですでに息が荒くなり、手足は冷たくガクガクし、身体から力が抜けて倒れそうでした。

とにかく逃げる準備はできたし、様子を見ていよう、とテレビの前に座った時でした。

バン、とすべての光が消えました。

テレビの白い光も、蛍光灯も、何もかもが消えて、一瞬、理解できませんでした。

そしてそれが地震による停電なのだと気づいた時、外からの街灯の明かりもなく、住宅の共用廊下の蛍光灯もない、本当の暗闇になった時に、無意識にスマホを見ました。充電は30%台でした。

普段は寝る前にかならず充電するのですが、昨夜は稲光がすごくて、フラッシュのようにバシバシと空が光るので、落雷してショートしたら困ると思って充電していなかったのです。

ガクガクしながら懐中電灯をとりに走りました。床には鉢植えだの姿見だのが倒れているので、スマホの画面で照らしながら進みました。

大きな懐中電灯が廊下にあるのを見つけて、スイッチを入れた時の心強さ。それから自分の部屋に戻ってモバイルバッテリー、音楽再生に使っている昔のiPhone、ポケットWi-Fi、電池式のラジオレコーダーを持って居間に戻りました。この間もひっきりなしにスマホから地震速報のアラームが鳴ります。「あと5秒後に震度3がきます」とか言われて、わたしはどうしたらいいんですか?逃げる?机の下に潜る?誰も教えてくれない!

ガクガクしながら帽子を押さえて、家中で一番、物のないところでうずくまります。うわんうわんと揺れる。

一時、静寂。

わたしの持っているモバイルバッテリーはアンカーの大容量で、スマホなら4回フル充電できるタイプです。

とにかくスマホ!わたしはケーブルを挿してみました。

……本来は4つ光るランプが、1つしか光らない。

これも充電を怠っていたようです。

でもネットだけなら、iPhoneとポケットWi-Fiを繋げばできる。幸いにiPhoneの充電は70%くらい残っている。

ポケットWi-Fi、起動。

起動、しない。

充電が切れてる……

ふっと顔を上げると暗闇。

懐中電灯の細い白い光だけ。

外に逃げても、どこに行っても、この世界は真っ暗で、この暗さから逃げることはできないんだと気づいた時、わたしは頭がおかしくなりそうでした。

でも人間ってちゃんと機能するというか、わたしはメンタルが弱いわりに危機的状況には強いという、わけのわからないタイプなんですけど、とにかく怪我をしないように裾の長いジーパン、半袖の上には長袖パーカーを着て、リュックを手元に起き、軍手をポケットに入れて、家の中で一番安全と思われる場所に座椅子を置いて、足元に懐中電灯を置き、窓を開けて外の声を聞きながら、ラジオを聞いていました。

スマホは全然充電されません。もちろん立ち上がってたアプリは全て消して、画面の照明は最低にし、節電モード。それでもなかなか充電の%が上がらない。

今、一番怖いのはこのラジオが消えること。充電池だし、これは数日前にチャージした記憶があるから大丈夫だと思うけど、ここから聴こえるアナウンサーの声が消えて、この暗闇に取り残されたら、取り残されたらどうしよう……

ラジオの音量を最低限に絞って、座椅子に深く腰掛けて、目をつむってみる。

数分は持ちこたえるけど、また恐怖に襲われます。その繰り返し。

倒壊したらどうしよう。

戸建てじゃないから、いざという時に窓から逃げることができない。というより、倒壊したら死ぬ。

でも外に出たら安全なんだろうか。

こんな真っ暗で?

地割れに落ちたりしないの?

今、何をするのが正しいの?

わたしの判断は間違ってない?

多分、わたしと同じように被災された方でも、家族が一緒だったら全然違うんじゃないかと思います。

誰かいれば相談できるし、喋ることができますよね。喋ってれば結構メンタル的には大丈夫なんじゃないかと思うんです。

と、思っていると固定電話が鳴りました。

そういえば停電中であってもつながるんですよね。ありがとうインフラ。もちろんディスプレイは消えますけども。

出ると入院中の母からでした。

結局ケータイを持つのを嫌がったので、院内の公衆電話からかけてきたようです。

「おかあさあんなんたらもかんたらも倒れて停電して真っ暗でめちゃくちゃでどうたら」

と言うと、母はそこまで予想していなかったようで、唖然としているのが伝わってきましたが、

「とにかく許可が取れ次第帰るわ」

と言って切りました。

この時点でまだ四時くらいだったと思います。

夜明けは5時過ぎですかね。

あと1時間真っ暗闇の刑。いくら本人が帰るったって、大混乱ですから、そんな三十分や1時間で帰ってくるわけがないですし、日の出まで、がんばれ!\(^o^)/ わたし!

頑張れるわけがなかったので、それでも三十分くらいこらえましたが、固定電話から電話しました。

相手は東京の父親のケータイです。

十回くらい呼び出している。

なんていうか、ああ、東京じゃみんな眠ってるんだよなあとしみじみ思いました。

父親は出てくれまして、日の出までなんたらかんたらと話しました。 何を話したかは覚えてない。ごめん。

入れ替わりのように母親から電話が来て、「『帰ってもいいけど、道中の保証はできませんよ』っていうのよ」とのこと。

続く(更新に時間かかると思います)

卵焼きは出汁だし

本日の夕飯は、唐揚げとかコールスローサラダとか作ったんですけど、わたし料理する時は必ず録音したラジオとか聴きながら作るんですよね、だって暇じゃないですか、野菜切ったりしてる間。そしたらその最中に後ろのソファにいた母親に「料理するのも楽しいでしょ?」って言われたんですけど、うーん、楽しくはないですね。可能ならやりたくない。

別に母親がこうなったから料理を始めたわけじゃないし(果物の皮むきなら一桁の年齢からやってたし)、ただ今までは自分が食べるために作ってて、今は母親のぶんも作ってるわけなんですが、わたしにとって料理というのは単なる生活であって、別に面白くもないし、充実感とかもないんですよね。食べてもらって嬉しいとかもないし。美味しいと言われても美味しいように作ってるから当たり前なので、別に何も思うこともない。

自分で作れば自分の好きな味付けにできるので、自分が作ったものが一番美味しいと思うんですよ。だから他人の(母親であっても)料理より自分の料理のほうが美味しい。それはお茶を淹れるのも同じで、自分が淹れたのが一番美味しい。なぜならわたしの好みはわたしが一番知ってるから。

ずっとそう思っていたのですが、数年前に年下で既婚の女性が水筒に入った熱いコーヒーを飲んでて、美味しい〜って言ってたので、

「おうちでドリップしてるんですか?」

と聞いてみたら、

「インスタントだよーでも今日は旦那がいれてくれたから美味しい」

「旦那さん上手なんですね」

「んーていうか、人がいれてくれたら美味しいじゃん」

って言われて、超衝撃を受けました。

よくドラマや漫画なんかで『人がつくってくれたから美味しい』というセリフがありますけど、わたしには全然意味が分からなくて、だって他人が作るとわたしにとってはしょっぱすぎたり甘かったりべちゃべちゃしてたりしますから。コーヒーだって好きな濃さとミルクの割合があるし。

でも彼女がそう言ってニコニコ笑った時、分かったんです。

ああ、わたしは不幸なんだと。

残念ながら未だに『人が作ってくれたから美味しい』という感覚は分かりません。

今日の唐揚げも美味しかった。でも、幸せじゃない。

タイトルの卵焼きですが、母親が作るのは甘い甘い卵焼き。わたしは甘いのが嫌い。だからお互いの作った卵焼きは食べません。母親のおにぎりは、お弁当に持っていくと固くて美味しくない。二人で自然公園かなんかに行った時、わたしが弁当を作りましたが、わたしの握ったおにぎりを食べて母親は「……あんた、おにぎり握るの上手だねえ」と言ってました。でも別に嬉しくなくて、むしろなんでこういうふうに握れないんだろ、としか思えなかった。母親に習ったこともないですし、誰かに聞いたわけでもないけど、なんとなく分かるじゃないですか、美味しいおにぎりの握り方くらい。

欠陥人間なんでしょうね、わたしは。

ふとした瞬間に自分の冷たさを感じることがよくある。

いつから料理を始めたかってさっき少し書きましたが、果物の皮を一桁年齢で剥いてたのは、親が剥いてくれなかったからです。中学生の長期休みはカップ麺ばっかり食べてて、高校生になったら自分で作って食べ始めた。働き出して、実家にいたけどご飯なんて出てこないから自分で作る。お弁当も作る。

だから料理に楽しさもときめきもない、ただ、お腹が空いたから作るだけ。1日3回食べなきゃならないから作る。

昔、友人が某有名クッキングスクールに長いこと通ってて、何回か体験とか見学に行きましたけど、一緒にやってみるとどう見ても友人の方がみじん切りが遅くて汚くて驚きました。何年も通ってるのに。

なんていうのかな、そういうことだと思うんですよ。

料理は生活で、1日3回あることなんです。栄養のあるものをさっさと調理して食べるのが目的です。友人は料理が趣味だけど、毎日料理するわけじゃない。わたしは料理好きではないけど、子供の頃から食べるために包丁を使う機会が多かったわけで、もちろん我流だから間違ってることもたくさんあるでしょうけど、少なくともクッキングスクールの友人よりは基本動作が早いわけです。

なんていうのかな、わたしにとって料理は、ゆっくり楽しく美しく盛り付けてとかじゃなくて、さっさと片付けたいものなんです。もっとしたいことがあるから。

わたしは食べることが好きですけど、それはお菓子とかジャンクフードで、『食事』は別に好きじゃない。

何が言いたいかっていうと、もう食事の支度めんどくさあああああああ、ということです。

そして今もお腹痛い

母の治療方針が決まって、まずは少し入院することになりました。

わたしはこれまで20回くらい入院してるので、持ち物やお風呂のことなどアドバイス。母は盲腸の手術くらいしか入院したことない人ですから。

今週受診した際に、主治医から治療法の選択肢について詳しく説明を受けて、どれにするか選んだ(もちろん標準治療というオススメはありますが)のですが、先生も最初は母に説明していたものの、もう早い段階から母がポゲー(゜゜)状態になっていたので、あとはずっと母を通り越してわたしが説明を聞き、ノートをとり、質問をするという感じでした。うちの母はなんというか、「よく分かんないけど重いものならいっぱい持てます!」みたいな肉体派として生きてきたので、単語が彼女のまわりをぐるぐる回っているのが背後からもよく分かりました。

いったん診察室を出て、治療法について考える時間を貰ったのですが、もう全く母親は理解できていなかったので、簡単に平易な言葉でポイントだけ説明しなおして、それで母親が治療法を選択しました。

母いわく「あーちゃんがいなかったら、何も意味が分からないまま先生の言う通りにするしかなかった」とのことで、子供は生んでおくべきですねえ。わたしは自分の老後が怖いですよ。わたしの老後には誰もいないですからねえ。

話がそれましたが、病気や治療法の理解は、それこそ患者自身が医師であれば最高レベルの理解をできるんでしょうけれど、そこまではいかなくても、個々の患者のレベルに合わせた理解をさせて、患者本人に決めさせるのがいいとわたしは思います。もちろん認知機能に障害があって、どう考えても不利な選択をしているケースなんかは別だと思いますが。母が選んだのは結局、先生が一番に挙げた治療法でしたが、「分からないけど先生が言うなら」で決めるより、その人なりの把握と納得と決断があったほうが、治療にも向き合えるんじゃないかと思います。

それでは拍手お返事です。

8/24の方。

>野菜ジュースと缶ジュースと〜

お母さんとの日常が戻りますように〜

コメントありがとうございます!

リュックに7キロ、左右のエコバッグに5キロずつみたいな感じでいつも買い出しに行ってます。

医療の進歩と神様の慈悲を期待してわたしは頑張ります。

8/26の方。

1リットルの涙

無理なさらず〜倒れないように温存〜

杏紗さんが発信する言葉を私は心に響かせて〜

1リットルの涙』はあまりにも若い発病で、医療事情も今とは違うことから辛い場面がたくさんありましたね。

自分の話になりますが昨夜、夜中に腹痛で目を覚まし、厭な予感がしたので予め安定剤を飲んでからトイレに入ったのですが、案の定、腹痛&下痢の迷走神経反射を起こしそうになりました。月に一度くらいのペースで起こるので、この頃はただの下痢で済む時と迷走神経反射までいきそうな時がなんとなく予想できるようになってきて、まずそうな時はとにかく安定剤を飲んでからトイレに入るようにしたら、倒れるところまではいかなくなりました。さらに非常に申し訳ないと思いつつ眠っている母親の部屋に行くと、なんか気配が伝わったのか母親がはっと目を覚ましてくれたので、「ごめん、やばいくらいお腹痛いから起きてもらえる?」と頼んで、トイレに入ると酷い腹痛&ザーッと血が下がるような感覚があって、何度か出た

り入ったりの繰り返し。母親ももう慣れたのでわたしの部屋から血圧計を持ってきて、湯たんぽも用意してくれていました。

その後は血圧もそれほど下がらずに済み、ラッキーなことに安定剤の強い眠気がきて、居間のソファでうつらうつらしてきたので部屋に引き上げました。

布団に寝た後、いつの会話か分からないのですが、「あたしがこんな状態だから、ストレスと常に気を張っているせいでこんなことになって」と母親が言っているのが聞こえました。ほとんど眠りながら聞いていたので、そんなことないよーとか言って眠ってしまったような気がします。

長々と書いてしまいましたが、だから仰る通り、無理をしてわたしが倒れるとそれが結局母親を責めることになるんですよね。

持病がいくつもあって人並みに何もできない無職独身の一人娘を、母親が今どう思っているかと想像すると、せめて結婚していれば少しは安心させられたのかと思います。どんなふうに精神的に不安定になるかもずっと母親は見てきているので、きっと母親自身がその打撃になってしまうのが辛いんだと思います。

いつも入院するのはわたしで、母親は面会に来てくれていて、でもきっともう、わたしが入院しても母親は面会に来ないでしょう。

わたしは正直、親より自分が先に死ぬと思っていました。それは最後まで子供として甘えたまま終われる、楽な道だったと思います。

その他の方もぱちぱちありがとうございました。

明日からまた次の現実が始まる

ブログ開設から15年近く(DUOブログ→ヤプログseesaa→現在と移転しております)、なぜか途中から、ブログには何かはっきりとした書きたいこと&長文になる話がある時にしか書かないようになっていましたが、変なこだわりを捨てて、これからはちょっとしたことでもブログに書こうかなと思いました。

なぜかというと、ツイッターは流れちゃうんですよね。もちろん遡れるんですけど、ブログより人目に付きやすいぶん控えめに書いてたりもしますし、そういうの勿体ないかなと思い直しまして、自分だけの空間であるブログの方にまた載っけていきたいなあと思ったわけです。

ツイッターはもちろん続けますし、あちらはあちらでコメントのやりとりが速くて簡単で凄くいいなと思います。こっちでは未だにどうやったらサイドバーに戻せるのか分からない拍手になっちゃいますが、どうぞよろしくお願いします。

『闘病記』の話。

わたしは闘病記はほとんど知らなくて、『1リットルの涙』くらいしか読んだことがないんですが、一つだけ何度も何度も読み返してる闘病記があって、それは奥山貴宏さんの『31歳ガン漂流』です。3巻あって、『32歳〜』『33歳〜』と、年齢の後ろのタイトルが変わります。肺癌で若くして亡くなったライター兼作家さんです。今からもう十五年近く前になりますかね。この方の闘病記(というジャンルに入るのか疑問なほどクールですが)は、御本人の意志で感情的な記述はあえて廃し(死にたくないとか悲しいとか辛いとか怖いとか)、非常に淡々と日々の治療内容や出来事を記してあります。そしてもとからプロの書き手だった人が書いているので、文章がうまく、リアルで面白いです。

癌患者だからといって入院中は点滴しながらテレビを見て〜というような生活は全く送らず、当時はまだ厄介だった無線ネット接続をして病院のベッド上でパソコンを使い、ライターの仕事をこなしながら頻繁に外出と外泊をし、ライブに行ったりツーリングに行ったりと、普通の生活を続けます。夜中に病院のロビーでプラモデルを作ったり。東京が舞台なのでモノに溢れた生活です。さすが読ませる力があって、面白いです(闘病記を『面白い』と言ったら不謹慎かもしれませんが、奥山さんなら笑ってくれそう)。

3巻ある、ということは4巻は出なかったということなのですが、奥山さんの時は止まってしまっても、こうしていつまでもどこかで誰かが読んでいるわけで、書き残す、公開する(もちろん出版できればなお良し)ということは、死後もずっと、形を変えて生き続けることなのだなあと思いました。なんか陳腐な感想で恥ずかしいですが、真剣に話そうとすると、陳腐というかありきたりな言葉になっちゃいますよね。

片付けの話。

病気が判明して、まず母親が取りかかったのは家中の不用品を捨てることでした。使っていない食器、本、などなど。

最低限度だけ残して、引越しでもするのかってくらい家の中がゴミ袋とダンボールだらけ。

ブッ○オフに売るとのことで、母親が持ってる本のほぼ全部を、箱詰めさせられてる時のわたしの気持ちが想像できるでしょうか。

死んだ後に面倒かけないようにと思ってるのは分かりますが、今まで集めてきた本を捨てる手伝いを朝からずっと続けていて、手に取る本はみんなそれぞれあちこち探し回って集めた思い出があり、その時の母の喜んでいた様子、買うか迷っていた顔などがよみがえり、それを全て娘に捨てさせるのかと思うと、これは優しさかもしれないけれど、甘く温かい優しさではないと感じました。

よく、思い出は物に宿るのではなく心のなかにありつづけるのだ、というようなことを言いますが、わたしは物にすがりたいこともあると思います。形のあるものは直接的に人を支える力があると思うのです。

わたしはダンボールに本を詰めながら、これは病と生きていく行為ではなく、死に向かって歩いていく行為だと感じました。

辛かったです。

もしその作業の残酷さが分からなかったら、その人はよほど幸せなんだと思います。

いっそ母親のものに埋もれたってかまわない。

この件を精神科で話したら、「でもそれは、杏紗さんのためにやってることなんじゃない?残されても、杏紗さんが片付けるのは大変でしょ?」と言われて、ちょっと、どう答えていいか分かりませんでした。そんなこと、分かってますよ。分かっているからお互いに辛いんじゃないですか。黙って立ち上がり、部屋に隠れて泣きました、わたしは。

これまでの日常から比べ物にならないくらい活動していて、微熱が十日くらい続いたり疲れすぎて泣いたりしています。日中、手が空いたら昼寝したいと思うけれど、でも寝たら時間を後悔するかもしれない。

相談相手もおらず、代わりに考えてくれる人もいない。わたしを側で励ましてくれる人もいない。

わたしは有り難い教えとか観念的なことを聞きたいわけじゃなくて、ただ、手を握って、側にいてほしいだけ。

買うことは生きること

まずは母親の話から。

あれからさらに大きい病院に転院して、病名は判明しました。

ですがここは闘病ブログでもないし、いくら匿名でも母という別の人間のことですから、わたしにその権利はないと思うので、以降、詳細は書きません。ただまあ、これからブログなりツイッターに日常を投稿していけば推測できてしまうとは思いますが、察して下さい。わたし自身のことについては変わらず書いていきたいと思います。

そんなわけで、スーパーで一人で買い物することが増えましたが、なんかやたら話しかけられますね。真剣に食品見てると話しかけられることが多いです。

昨日もブドウをどのパックにしようか選んでたら、突然「美味しかったですよ、それ」って背後から言われてビクゥ!!ってしました。この人は店員さんだったんですけど。わたし専門的なこととか聞くの大好きなので、ブドウについて質問しまくって試食させてもらって、悩んで決断してカゴに入れました。微笑みを交わして別れました。

とある野菜の皮を剥いていたら、やってきたおばあさんに「これどうやって食べるん?湯がくの?」(方言の再現がおかしかったらすいません)って聞かれて、茹で方だの季節の栄養だのを話し合い、野菜を入れるビニール袋を渡してサヨナラしました。

日常のものは近場で済ませますが、遠めの大きなショッピングセンターには買い出しツアーのように突撃するので、先日は果物だの野菜だのの特売を買って、1リットル野菜ジュースだの、母のハマってる350ml缶ジュースを6缶だの、お菓子だの、ケータイで希望を聞きながらスリッパを買いつつ、ドラッグストアで台所洗剤の詰替え大ボトルに、また電話しながらクイックルワイパーを選んで買って帰ってきました。最終的に何kg持ってたか分かりゃしない。ご存じの通り車がないので、不便で仕方ないです。

それにしてもクイックルワイパーって便利ですねえ。床を雑巾がけするの疲れますもんねえ。特に階段。クイックルワイパーなら立ったままできるんですもん、もっと早く買えばよかった。

答えを求めていない打ち明け話や気持ちの吐露に、もうとっくに考えたけど選ばなかった選択肢や、さんざん理解している前提を説かれると、この状況でそんなんすでに考えつかない人いる?と思ってしまう。そんなこともう気づいてるよ、でもそれはわたしの救いにはならなかったから、今苦しいってあなたに助けを求めたんだよって腹が立つ。

親切でしてくれる話は聞くべきだと思う。参考にせず実行できなくて申し訳ありませんとは思う。

わたしが言ってほしいことは、わたしにしか分からないのは当たり前で、それを他人にエスパーしてくれと求めるのは間違いだって分かってる。

たまに堪えきれず泣き言をいって、いつも後悔する。

誰かに助けてもらいたい瞬間をこらえて、静かに在りたい、わめきちらすような、みっともないことはしたくない。だけど甘ちゃんだから、誰か助けてって気持ちを捨てられない。

……でも反省しましたね、こういうことになって、ああわたしもあの時あの人に言ったこと、どんなに鬱陶しくて腹が立っただろうなって思い出します。

人が人に言える、耳に新しくて救われることなんか早々あるはずない。

今回の件で一人だけ、後輩はそういう類のことを一切言いませんでした。本当に良い子だなと思いました。医師を含めても片手に足りる人数にしか話してませんけど、みんな言いますね、観念的なことを。